とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

ミステリーにおける合理性について

■ミステリーには合理性が必要であると思う。

ここでいう合理性とは、犯人や事件の実行犯が目的達成のために取りうる行動の中で、最良の行動を選んだかである。例えば、殺人を犯すとして、何故、密室で殺す方法をとったのか。自殺に見せかけるメリットと、密室構成の負担や成功率が考慮された上で本当に選ばれたのだろうか。


■合理性と論理的思考

合理性と論理的思考は、ミステリにおいても密接な関係にある。単純化して言えば、目的地にたどり着く無数の道筋が論理である。合理とは、様々な目的地への道筋の中で、その道(方法)の選び方やその理由である。徒歩、バス、タクシー、車、電車の中で、とにかく早く行きたいからタクシーで最短ルートをとか。
ミステリに話を戻そう。殺人という目的にたどり着く道はいくつもある。それは作者が懇切丁寧に、犯人が通った道の手がかりを書いていき、読者はその後を追う。しかし、読者はその作者の手がかりを追いながらも、常に自分の合理的価値観にも照らし合わせながら犯人を考えているのである。

・そもそも殺人を行うことがベストか?誰にとって?
・このタイミングで?誰にとって?
・色々ある中でなんでこのナイフの凶器?
等々


■合理性がないと、納得できないし満足できない。

例えば、犯人は特殊な訓練を受けていて、殺人後の深夜、パラグライダーを使って付近の監視カメラにうつらずに逃走という結論はどうだろうか。なんで?パラグライダー?と感じないだろうか。
作者が丁寧に手がかりを書けば、このとんでも推理も論理的には正しくなるかもしれないが、合理性を考えると甚だ疑問である。つまろ、腑に落ちず、満足できない。


■限定した問題ならば合理性も問題ない

『面白い密室トリックがあるので、合理とかいいから、とりあえずその謎を解いてみてよ。』という人もいるかもしれない。条件や状況に強引なところがあっても、それを始めから限定し作者と読者了解の下なら、その問題は大いに結構だし、面白いものになると思う。
ただ、そのトリックをいわゆるミステリ本らしくするために、特別な舞台や、犯人の動機も書いてと飾り付けられて、犯人の動きや行動が足されてくると、やはりそこには合理性が侵入し、この犯人はわざわざなんでそんなことを・・・と腑に落ちなくなってくる部分がでてくるのが常である。


■結局は………

作者によって犯人の行動や心理描写がなされるのならば、其処に一人の人間が誕生する。その犯人も人間であるならば、合理的思考と論理的思考を要求されてしかるべきだと思う。それを受けて読者も、論理的思考に加え、合理的思考で犯人を追い詰めることができ、納得し満足できるのだと思う。
しかし、殺人という行為そのものがほぼ合理的ではないという大きな問題がある。殺すことでしか救われない。問題が解決できないという状況が稀すぎるからである。
巧みな描写と設定でこの問題を正面から解決するか、日常の謎で殺人を捨てるか。はたまた、SFや超能力や殺人ゲームなどの要素を駆使して、ハウダーニット(どうやって殺したか)に特化するか。それが課題であると思う。