とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

ミステリ作品における評価(良い悪い)の触れ幅の大きさについて(仮)

◆はじめに

ミステリ作品のアマゾンレビューを時々書くが、そう思う(いいね)と賛同してくれる人の少ないこと、少ないこと。天邪鬼で辛らつな内容を書くことが多いせいという自覚もあるが、それにしても、寂しい。そのため、ミステリ作品の評価とは、一体どういう点や基準で考えることが一般的で共感をもたれるのかと、ミステリの評価とは何か、また、ミステリを評価する事の難しさ等も考えてみたい。



◆評価とは、評価する目的、そして事物への知識・経験量によって変わる。

評価とは、各人が主観及び客観的基準からその事物を判断することである。世代、性別、国(文化)、趣味嗜好、状況立場、利害関係が異なれば、評価は当然異なる。言い換えるなら、評価する目的や下す結論にどういう意味を持たせるのかという違いと、判断する対象の事物を十分理解できているのかという理解の領域や、そこから判断を導く基準の領域、それぞれの知識・経験の量や質の違いとも言える。



例えば、小学生だって二つ並べられた料理から食べたいものを評価して選ぶことは可能であるし、どちらが良いのかと今日着る服を選ぶ事もできる。しかし、彼らにどちらが多くの人に受け入れられる料理であるか、どちらか売れる商品であるかという評価は下せない。(理解の領域)あるいは、フィギュアスケートの採点も評価であるが、滑りの良し悪しもわからなければ、どういうジャンプがあるのかまして構成点などといわれても、大人ってあっても知識・経験のなさから理解できない範疇にあるということである。(基準の領域)




◆関わる言葉群(評論、書評、レビュー、感想、コメント、メッセージ)

評価というものを再確認したうえで、評価にまつわる言葉を並べてみると、その正確な意味や意義は知らないが、どれも評価の目的や姿勢、求められる内容の質の違いに由来していると実感できる。


評論とくれば、論ずるのだからなにか明確なテーマと結論を導く為に、作品の一部をある論題の中でどういう位置づけにあるのかと論じたり、あるいは、過去作品と比べ作者の中でこういう変化が生じているかなど語るものだ。一方、コメントやメッセージは第一印象や、一番伝えたい想いに触れることだろう。その中間的存在として書評、レビュー、感想があるようにおもう。思ったことを制限・絞らずにまぁ自由に書いて下さいぐらいなものだ。




◆本題。ミステリ作品の評価とは。

ではミステリを評価するとは、具体的にどういうことなのか。まずは作品を評価する目的や姿勢が関わってくる。

1、評価の目的や下す結論 領域
・つまらなかった、面白かったという感想を通じ、また、こういう人には向かない、こういう人にオススメという予防線をはって作品の販促・普及
・特に個人的に面白かった、つまらなかった点を伝えたい(私的感想の共有・紹介)
・作者や出版社へのクレーム
・もっとこうすればよかったという(半ばお節介な)改善提案




ざっくりまとめるとこの4種類のベクトルが大半であるように思う。昔、航空会社か旅行会社のサービスで良い思いをした人と悪い思いをした人が、どういう割合でその感想を誰かに伝えたり口コミとして広めるかみる実験が行われた結果、悪い思いをした人の方が明確に多かったそうである。もしとにかく共感を得たいと思うなら、こういう好悪の感情、特に強い良い勘定か、悪い感情に賛同する内容を意識してかくべきだろう。ただ、何十年前の米国の実験だったと思うので、現代の日本にあうかはわからないが。評価を見る人の構成やきた目的がそもそも偏っていることを、自覚する必要があると思う。




2、事物への理解
面白いか、つまらないか。そのどちらかの答を書くだけなら事物への理解などいらない。しかし、評価を”書く”となると他者への共有や、他者への意思・情報発信となるのだから、自らの思考の流れと結論をかき相手に理解してもらおうとするのが自然な流れだ。そうなるとどう受け止めたかという”理解”の流れをかかざるをえない。



・比ゆ、暗喩、遊び心などの伝わりにくい意図、メッセージ
・伏線、前フリ
・文章表現力、流暢さ、国語力
・過去作品や同ジャンル作品と比べた独自性
・キャラクター(名探偵)の魅力
・犯人や探偵の動機付け
・トリックの内容と類似性、必然性
とりあえずいくつか項目を考えてみたものの、つまるところ作品構成要素を網羅したうえで、作品を紐解き整理する作業だなぁと痛感した。一応ミステリは小説でかかれることが多いので、ミステリ小説作品の構成要素を体系的に分類し列挙してみようと思う。




○謎 
・謎の焦点、内容、使用法
・謎とその解法に至るまでの痕跡や展開や推理の見せ方(ストーリーともやや関連)



○ストーリー
・登場人物(探偵役含めキャラクター、ライバル)の設定の細部、
・人物同士の関係性(各人物の目的、心情と利害対立関係、動機付け、話の原動力)
・世界観・舞台設定・特殊的な舞台設定(人物の動きを盛り上げるSF、超常的設定)
・物語のテーマ(オチ)、テーマに至るまでの展開や出来事、至る速度。伏線のはり方



○文章力・表現力
・上述の項目すべてに関わり、それらの表現描写力や表現方法。


作者・カテゴリ、ジャンルという作品を俯瞰
・作者の中でどういう位置づけの作品か。これまでの同一作者作品と比較
・他の販売作品の流行や、カテゴリの中での特殊性や特筆店
・その販売ジャンル過去作品の中で、どういう意味や位置づけにあるか。その特殊性や特筆店



まとめるなら、この4点を理解し、そして次に書く各自の”基準”をもって評価という結論が出てくるのだと思う。




3、各自の基準 面白い!つまらない!などの判断基準
上述した事柄に関して、どういう視点で見てどう感じるか=基準となるわけだが、面白さやつまらなさの基準など、非常に主観的感覚的なもので、多種多様なものである。


ただ、小説を含めた作品鑑賞によってもたらされる心の動きとは、つまるところ、日常生活では体験しがたい感情や出来事に感情移入・追体験し、カタルシスと知的好奇心の充足を得ることで、面白い!!と感じることである。それは、感情移入・追体験できるよう物語が説得力(リアリティ)を持っているかどうかという段階と、繰り広げられる体験自体が、読者にとって面白いと受け止められるかの2段階の視点がある。



第1視点 与えられた世界観や条件、展開の中で、登場人物らがとる行動の動機付けと結果に共感できるか。説得力があるか。
「そういう状況なら、私が登場人物ならこうするし、こういう風に”描写したい”。」こういう読者の意思に著しく乖離した動きを主人公がとった場合に、説得力やリアリティはなくなってしまい、読む気をそぐ。上述の事柄の理解以前に、ここでもう読むことへの意欲をなくし、このリアリティや説得力の欠如に関して評価を下してしまう場合もある。思うに、読者としての共感の視点もさることながら、作者になりかわるような製作者寄りの視点になって、駄目だしをすることすらある。




第2視点 基準の追求。
説得力やリアリティに問題がない、まぁ不自然なところはない・・・というハードルをクリアして行われる次の見方が、面白いかどうかという内なる基準と照らし合わせていく視点であると思う。(※あくまでミステリ作品寄りの場合)


・独創性(オリジナリティ)はあるか
・作品のテーマ、哲学的結論への納得・共感、知的好奇心の満足(ためになる、勉強になる)
・複雑性とその鮮やかな解法・展開か(伏線や思いも寄らない展開、流れ)
・アツイ、燃えるか、格好良さ(困難の克服、主人公の成長、競争、期限に間に合わせる)
・萌える、悶えるか(キャラもえ、恋愛シチュのフェチズムにあうか、葛藤)
・文章の読みやすさ、(心理表現・風景描写量の割合など好みに合うか)



独創性は他の作品とくらべてどこが斬新なのか?となる以上、その比較する項目への理解が必要不可欠である。これまでのミステリで繰り広げられてきたトリックを知らなければ書けないし、逆に、知識の差で斬新か否かは180度変わることすらある。これは登場人物の設定等、どの点にもいえる。


4,5番目はかなり主観的でフェチズム寄りなもの。各人の性的嗜好と同じぐらい多種多様な自分の心に触れるポイントがあるとおもう。流行になるぐらいの最大公約数的な範囲はあるものの、完全に個人に合致するかはかなり謎である。


6番目もそう、ライトノベルのような風景や心理描写などスッカスッカにして、めまぐるしい展開やキャラ萌えに特化した文章もあれば、純文学のようなその流暢でながれるような言葉のならびに魅力を持たせようとする作品もある。これもかなり主観的で気分的なもの合致するかは謎である。





◆結論 評価は難しすぎる。

思考の流れをおわずに、面白い、つまらないを言い合うだけなら簡単だが、流れを追って評価を述べ、それが共感されたり、他の人が面白いと思ってもらうものに自作品を評価し改良することは、非常に難しい。


・論点の噛み合わなさ
上で挙げたように、どれも枝葉の部分までふれずとも、結論で4ベクトル、4つの大分類と10項目の事物理解の領域。6項目の基準領域がある。単純計算で、4×10×6で240の思考の流れと結論が存在する。同じ項目を選んだ人同士なら、まだ論点のスリあわせへとすぐ移行できるが、枝葉までいれればその数のさらに膨大になり、そう簡単でもない。一応、相手の書いた視点を理解し、ソレを踏まえたうえでの反論や、返答を行うことは可能だが、自分が面白いと思ったものをつまらないと評価されて脊髄反射的な悪口みたいな返答もあるし。そんな細部はいいから、もっとここをみろよといった否定的対応をされるのが目に見える。



・知識量や、主観やフェチズムの個人差がありすぎる
判断する基準もまぁ噛み合わない事が容易に分かるだろう。独創性や特筆する点を書くには、当然過去の作品の鑑賞経験が関わってくるし、その差は個々人顕著にあり、初見の人には素晴らしく見えてしまうことは多々ある。また、似た作品の読書経験という明確な差のほかにも、その作品のもつ哲学的テーマを理解できる教養があるのかというより広範な文化的思想への知識の差も問われるし、あるいは作品の構造や伏線、描写力などの技術・技巧的なものを評価できるかどうかの制作ノウハウの理解度が試される視点もある。



ヒーローは格好いい。猫は可愛い。あかちゃんは可愛いなどと、ある程度万人が共通して好感もたれるものはあるものの、格好いいか、萌えるか、胸踊る展開!!などを細かく見ていった場合、個々人の感覚的違いは必ず出てくる。当然、絶対の正解はない。






ふぅ、ちよっと昔の話を思い出しました。涼宮ハルヒの消失「劇場版」を見終わったあと、友人Aは、直近登場作より声優の技量がどうのと感想を語りだし、友人Bはどこそこのシーンで流れた曲が、あるアニメのどこそこのフレーズに似てたと語った。私は、ユキと雪をあえて混同させ、長門がちょこっと反応してしまった身悶え展開を語りたくなっていた。なんというか、感想や評価がシンクロする友人は趣味嗜好のあう稀有な存在だと思う。


そして、感想や評価を取り入れて、作品をブラッシュアップしようにも、なんともその頼りなさにがくぜんとしてしまった。多くの平均評価を参考にすれば、大多数に受け入れられる万人受けする作品になるかもしれないが、削ったしまった部分に、その作品を人生の道しるべに!!とまで思ってくる人がいたかもしれない。まぁ読者の予想の上を行くことが、読者のおどろかせ 印象にのこるという話もあるし。評価なんて、ふわふわしててかみあわないし、信用もおけないし、さらにそれを乗り越えて予想もつかない独自の世界を広げていくことが制作のスタンスとも思ったり。