(ネタバレ書評) ドグラマグラはアンチミステリに大してあらず。
◆はじめに
改めてアンチミステリについて考えてみようと思い、ドグラマグラを筆頭にアンチミステリ的なミステリ小説をいくらか読み始めている。さて、ただドグラマグラは大したアンチミステリ作品ではないと思ったので、それについて書くことにする。
- 作者: 夢野久作
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1976/10/01
- メディア: 文庫
- 購入: 49人 クリック: 1,605回
- この商品を含むブログ (394件) を見る
- 作者: 夢野久作
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1976/10/13
- メディア: 文庫
- 購入: 41人 クリック: 466回
- この商品を含むブログ (218件) を見る
◆アンチミステリとは何か
アンチミステリとは、通念的なミステリの枠組みや基本的構造に反し、展開構築されたミステリである。簡単に言うなら、従来のミステリのありかたから逸脱する事で、ミステリのありかたに疑問を投げかけるもの。具体的には、”謎が解けないミステリ”だったり、”痕跡を信用できないミステリ” だったり、”真実真相が信用断定できないミステリ”だったり、ミステリとして当然だとされてきたものに対立矛盾を持ち込むことで、ミステリのあり方を見つめなおさせるのだ。
さて、それを作品という形でおこなう場合は、大きく2つのパターンに分けられる。その対立矛盾を指摘する作品か、対立矛盾を克服する作品か。言い換えるなら、疑問をなげうつのか、それを克服するのかとまぁその2択である。斬新奇抜なトリックとその作品名が語り継がれるように、アクロイド殺しやら、ドグラマグラやら、アンチミステリ作品として、語り継がれているものもある。
◆ドグラマグラは大したアンチミステリではない。
誤解を招いたかも知れないが、ドグラマグラの小説的価値ははかりしれず、(思春期の少年少女やごくごく研究肌の者はさておき、常人なら精神に異常などきたさないので、)一度は読んで欲しいと思う。ただし、アンチミステリの目的、目線でもって読んでも大した収穫はないと思う。ドグラマグラのアンチミステリ的な要素を挙げるなら、以下の通りである。
・信用できない語り手 → 精神異常者による夢うつつの描写が多く、虚実入り混じっている。
・真実真相がない → 真相や結末の披露がなく、いく通りもの解釈が可能な終わり方。
信用できない語り手。この手法をミステリとして許容できる用い方もあるだろう。結局のところ、本文の情報の真偽を特定でき、その情報を推理や事実の判断材料に使えるように書き分ければいいのだから。しかし、本作では、その真偽を特定することは決して出来ない。語り手が精神異常であり、時間感覚もあてにならず、現実と夢の光景を同時にみてしまう、他の人の発言すらも空想夢想の幻聴かもしれない。てんでめちゃくちゃである。
他方、真実真相がないというのも厄介である。本作では、神異常者の自己完結で終わり、それをミステリ的な論理的な真相とは結論づけられないし、また上述の通り、本文を読み返して紡ぎなおせば、真相がみつけられるかと思うも、それも叶わない。これが、事件の骨格と実行犯は理解できたが、実は彼や彼女が暗躍しており、すべての事件の裏で糸を引いたり誘導したのは彼彼女かもしれないぐらいならば、後味と気味悪さを仄めかかわいいものだが。
アンチミステリとしてみれば、この2つの対立矛盾は既に幾重にも洗練され取り入れられることもある手法である。まぁ、その草分け的な価値というものもあるかもしれないが、情報がめちゃくちゃ、真実がない。いってしまえばそれだけの原石も原石というか、思いついても、そんなもの誰もミステリとしては書かない、かけないレベルのものなので、これを読んでアンチミステリの理解が深まったり、なにかの契機になるとは思えない。
◆おわりに
『殺人事件がおきた。その中心人物は、今朝目を覚ました記憶喪失のアナタで、どうか記憶を思い出し、事件の謎を解いて欲しい』
と、そんなミステリ的な出だしではあるものの、別にミステリではないし、かろうじてアンチミステリなどに大別することはできても、上述のように、アンチミステリとしての意義や価値はそこまでない。
重複するが、小説的価値は計り知れない。あくまでミステリではないというだけである。偏見やこじつけ、飛躍が往々にして散見するが、それでも一応は筋の通った精神病理に関する作者独特の思想世界が展開されていて、そんな馬鹿なと心の奥底では思っていても、独特の文体やリズム、構成で、意識をからめられていく。ちょっと信じてもいいかもしれないと思わされてしまうし、読後、ことにつけこの作品の思想を思い返してしまうことは間違いないと思う。
平行世界、時間跳躍、剣と魔法の異世界、現在あふれかえってるそのワンパターン物語は王道として今後も続いてもらって構わないが、こういう各作者の深層心理思想やらがぎゅうぎゅうにつまったこじらせた作品も、ちょくちょく読みたいものである。