とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

考えること の答えを持つことは難しい

仕事が決まり、春からは、一日の大半をそれに費やす。その業務内容は、想像が容易に着く。それ故に、単調な仕事ではないが、自由に大学で過ごし、学んできたときよりも、これをしたほうがよい。これが仕事には関係ある。という枠がはめられることで、学びや生活が固定化、ある方向へ帰着するように思える。



自分には生活する上で、遊びと、学びという軸がある。
学びと称する、無駄に、つまらなく、意味がないと思えるようなもの。人からそう思われるような本でさえも、読んできた。しかし、主観的にも、するべきではない学び。という制限の枠を自分にはめようとしている。


今までの生活を占めていた学びとはなんだろう。私にとって学びとは…………
【仕事として使えるレベルの学びなど、相当なことでなければ存在しない。】
この考えが、頭にこびりつく。そして次のだめ押しがある。
【表現できない、使えない学びをすることは、自己満足でしかない。】

インターンシップや、就職活動を通して、この2つの恐怖を学びに受け付けられたのだ。まぁ、それについて愚痴る気はないが、学びへの姿勢が変わったことは確かである。だから、生活の1つを占める軸が、今相当に揺れている。わからなくなっている。



しかし、一応、今日考え、締めくくりとして出した結論をここに書く。
「社会人生活とは、自由だ。まるで、360度見渡せる平野に立つようなものである。」
なにをするも、個人の自由だという仮の、行動をするためだけの、暫定的な結論だが、しかし、勇気が貰えた。

自由に、自分で、本を読もう。



追記、それからも事あるごとに考えてきたおかげかちがう記事で解答をだした。
結論を言えば、

1,自分の専門をきめること。専門とは経験の上に成り立ちやすいものなので自分の関わる分野こそ積極的に学ぶこと
2,考えることは自由であり、考えること自体が楽しい。だから、直接的な影響力がなくても考えることは肯定されてしかるべき。


ほかにもいろいろ書いたが、多分重要なのはこの2つ。