とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

アリとキリギリスの寓話 コロナウイルス騒動と。

◆はじめに

 コロナウイルスのニュースを見て、アリとキリギリスの寓話を思い出した。多少過激な表現も含まれると思うが、哲学、思想的な空想話なので、ご容赦ください。キリギリスは助けるべきなのかという話とそこから、いろいろと派生していきます。書きながら考えをまとめてみようと思います。

 

 

 

 

◆一部のキリギリスは助けるべきなのか。

 すべてを一括りにするつもりはない。コロナ騒動で失職した人や、経済的損失を被った人の全てをキリギリスなどというつもりはない。ただ、1か月や2か月の自宅待機で、この世の終わりを嘆く一部の労働者や非正規雇用の方を見ると、そういう気持ちが生まれないでもない。経営者が内部留保を切り崩して、社員の給与保障と家賃などの固定費を払う。中小企業の体力的には2か月でも相当きついだろう。大企業でも何か月と続くようだとどうなるかわからない。一方で、労働者は、自らの家賃や生活費だけだ。

 

 

 

 

◆人助けをそれぞれの観点から見てみると

 ・経済的観点

見殺しにするより、中長期的にみればその人が今後提供する労働力や、対価の給与や生じる消費による経済効果の方がプラスになるだろうから、一時的支援は必要である。また、支援されるという信用担保はリスクを低減し、今後の経済活動の円滑化や拡大進展にプラスに働く。(大数の法則、保険の発想ともいえる。)

 

 

・人道的観点

困っている人は助けましょう。助け合いの精神が社会秩序の安定をうむし、人助けはそれだけで良いものだ。人の命や人権は非常に尊い。(但し、現実実態的な手助けする良質は各個人の細かいそろばん勘定次第です。)

 

 

 

 

◆直観的な感想と感覚観点

個人的には、人助けの概ね上の二つの観点には同意する。しかし、嫌悪というか蔑視というか、不信というか、様々な負の感情とともに全面同意できない。どちらかというと私は、アリタイプの側だからなのかもしれない。

 

 

・政治不信

布マスクという謎のお金の使い方、さらに使用に関わってくる黒い噂の数々。週刊誌やネットの記事うのみにはできないが、うんざりする。日本郵政への援助目的疑惑や、マスク購入先の第4の怪しい会社など。コロナで困ることのない政治家にすれば、コロナ騒動で動く予算は、他の案件同様にいかに自分の方に利益誘導できるか考える飯の種でしかないのだろう。

 

 

 

・リスクとリターンとヘッジとキリギリス

1か月2か月で困窮する、あるいはそれに類する立場の1部労働者のリスクをなぜ、国民全体の税金であるいは将来への未来ある子供たちへの借金で賄わないとならぬのか。コロナでなくても、なにかの怪我や病気で同様の事態になっていたらどうする気だったのだろう。40代50代になれば病院通いや持病も増えて、医療費もかさみ今と同じ生活で収入が増えなければつづけられないだろうに、どうする気なのだろう。

 

 

ロールズの無知のヴェールという正義論を思い出す。もし自分が逆の立場なら、支援、援助を望むだろうから、どちらの立場かわからないと仮定すれば、最悪を逃れるべく支援・援助を挙げる方に賛成するのかもしれない。しかし、ここで問題になるのは、彼・彼女らの理性的とは言えない、あるいは挑戦的冒険のリスクを、逆の立場になった自分が選択しているかどうかという点だ。アイドル?歌手?になると頑張って極貧生活をして、コロナがそこに来て、困窮した。あるいは、5年後、10年後にひっ迫するのが目に見えているのに、ギリギリを続ける今の生活。そこにコロナが来た、困窮した。さて、どうなんだろう。自分ならうまくやるとはいえない。努力をすれば、別の道は開けるものでもない。しかし、その境界線を越えている人を助けようとは思えない負の感情がある。極論すれば、楽観主義者の怠惰と、夢追い人のリスクをヘッジするのもアリの務めなのかと思う。

 

 

 

 

生活保護と人権

 支援援助する1部の人に不満がある。さらにそれを再分配するだろう組織(政府)にも、蔑視がある。嫌な気分になるのは致し方ないのかもしれない。これは、生活保護でも同様の構図になる問題点や論点だろう。

 

 

・対象:無差別平等の原則(困窮に陥った経緯や過去は問わない。関係ない。)

・金額:生活保護費の需給金額、またその上げ下げでデモを起こす行動について

・使用用途:生活保護費の使い道への不満。(ギャンブルや酒)

 → 派生して、公営住宅に住む人の海外旅行や高額車などの所有等も。

 

 

生活保護の土台は憲法憲法が土台とするのは基本的人権基本的人権フランス革命で広く知れ渡り認められた土台であり、基本的人権の土台は、天から授かった基本的権利ということだ。あるいは生まれながら、持つべき侵されない権利だ。

 

 

 

 

◆正義論(正義観)と基本的人権のおりあい。

 現状の憲法や法制度上の、法の下の平等生存権、また生存権の規定に照らし合わせれば、生活保護がなんら問題ないように、アリとキリギリスとコロナ問題もなんら問題はない。皆を助けるべきなのだろう。問題というか論点があるとすれば、それは、自分の正義観と、そこから形作られる基本的人権の詳細と現状憲法との乖離だろう。結局は総論同意の各論(枝葉)反対の立場を再認識したということだと思う。

 

 

二人の人がいて、一人分の食料しかなかったら、1人しか生きられない。2人分以上の食料があるから、分けて生き延びられる。餌をとれない生物は淘汰されて死んでいくのが自然界。生産性もない、貯蓄もないなら死んでいくのが自然界なのだろう。自然観とそれに伴うシンプルで明瞭な善性の直観も大事にしたいのだ。

 

 

 

 

 

◆AIスコアと監視管理社会の到来とセイバーメトリックス。

 結局は、最近この問題にぶちあたる。基本的人権の設計当初では想像できなかった技術の問題だ。恣意的な運用や判断への不安恐怖、個別の調査判断にかかる膨大なコストゆえに、すべての国民に~、無差別に~とせざるを得なかったのだろうと思う。

 

 

基本的人権の本来の目的は、社会秩序の安定、もっと言えば、理不尽な制約から解放され、自由に各々の活動に精をだしましょうというもので、本当にどうしようもないとか、ダメなやつとか、あれなやつを救うべきというものではないと思う。そうして、人類が幸福に生きれる方へ、種の保存とか人生の謳歌とかもっと大きな目的へ向かう、人類史の何歩目かの大きな取り決めだったと思う。

 

 

監視カメラや、ウェアラブル目線端末、バイタルや、日々の活動内容の記録、脳の活性化度合、住民台帳と紐づけられた電子決済システムによる、金融資産、納税額、消費傾向、消費金額の把握、そういうありとあらゆるビッグデータと個人の濃密なデータがAIによりまとめられ、指標化・数値化され、そして黒か白か表示される。そんな未来になれば、正義はより明確にそして複雑すぎてほとんどの人がすぐには理解判断できないものになっていく。でもみんな使っているし、そこそこ便利だからだれしも使う、原理を知らずにそれに染まるスマホやテレビやOSのように。

 

 

そんな社会になれば、人類の種の保存及び、種の生命生活向上に関わる指標が作られ、それに基づいて判断されたりする日もくるのだろうなぁ。AIスコアのように。たまたま、今日知った話なのだが、セイバーメトリックスという野球用語があるらしい。複雑な統計処理のもと見直された、野球人を評価する新たでより勝利への関連度が高い指標群だ。これまでは打率や本塁打数というもので比べられていたものを、また別の数値を加えたり引いたりで色々するらしい。

 

 

 

 

◆おわりに

 

本当に社会は変わる。100年前のアメリカは3分の1が農民だったように。そしてもっと前は、また全然別の生活様式があったように。もっとみんな好きにいたらいいんだ。そして世界は勝手にいろいろと変わっていく。その時その時で、今の我々とほとんど同じ遺伝子の人が、同じように愚痴やジョークを交えながら、日々暮らしてただけだ。今と同じように政治の腐敗、色恋もあった。今後もずっと続く。欲しがる人間が人の上に立つし、そういう野心家はもっともっと欲しがるのだから。

 

 

されど、エネルギー問題と環境問題だけは残る。地球と人類のエネルギーの源である太陽。太陽から蓄積された地球のエネルギーを今と、あるいは今以上に掘り起こす技術でエネルギー収支をあわせていても、いずれ枯渇する。現状受け取る太陽エネルギーの今と、払う収支が拮抗するバランスはどこなのだろう。もしかしたら、観測されていない太陽から発するXを見つけ、さらにその速度や質量を受け止めエネルギー変換する余地は残っているのだろうか。

 

 

環境問題も、遺伝子に傷をつける即アウトなものから、蓄積することで致命的な欠陥を引き起こし、今後の要観察が必要なものまで多種多様にある。難しいな、世の中って。

 

 

本当に最後に。経済戦争とあるいは物量作戦による人海戦術地球埋め尽くしのどちらかが進行するのが先か(全国家間の争いの経済的決着)。新エネルギー発見や新取り出し技術の開発か間に合わなかったエネルギー戦争か(エネルギー的決着)、一国・少数人数による世界破壊(バイオテロ・遺伝子攻撃や核攻撃による大規模の人類消滅決着)、まぁどれをとっても、地球上のすべての生物は死なない。過去に何度も全生物の絶滅的状況でも生き延び、そこからスタートしてまた同じように、でもすこしちがう生物群に棲み分けで成長進化していったのだから。