とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

まどマギ[新編]叛逆の物語 エンディングはハッピーなのか。バッドなのか。

今更ながら(略)。もう至高ですね、神アニメです。なのに、レンタル店に行けば300円も出さずに数時間の映画3本も借りれて、こんな素晴らしいまどまぎの世界に触れられてしまう。ほんと日本に生まれてよかった!!と嬉々せまる感想をかいたらとりとめもないので、この辺にて、今回の本題は、鑑賞直後にまず思ったエンディングで誰が救われ、誰は報われないのか!?を軸にすえて、映画の流れを納得しやすく解釈していこうと思います。自分のために、自分が納得して、まどまぎを受け入れられるように前提の前提から書いていきます。





◆基本的な背景。

まどまぎの世界を、私は人の感情がすさまじいエネルギーを持つ世界で、人間の絶望が災厄化する(一般人には自然災害にみえる殺戮をおこなう)世界だと解釈しています。人間の文明では利用できないが、QBらはそのエネルギーを利用できるので、人間の感情エネルギーに目をつけ、災厄や呪い、魔女へと変身する時の人間の絶望エネルギー回収を狙いだしたわけです。旧石器時代とかでも妬みや嫉みで、災厄化してしまう人間もいたんでしょうね。ただ、絶望エネルギーはいいけれど、災厄化して暴れまわられて人類が滅んでしまっては元も子もないですし、数が多いほうが回収可能性があがるので、人類の数を増やすべく、時代時代で経済や文明の発展をサポートしたのではないでしょうか。そしてある時、マイナスだけでなくプラスの感情(祈りや希望)もエネルギー回収できる装置?システム?を開発し、現魔法少女システムの運用にいたると。



QB視点からみれば魔法少女エネルギー回収システムは実に効率的です。絶望から魔女や呪いや災厄となる瞬間にエネルギーをまず回収する。しかし、それらがその他のエネルギー予備軍(人間)を大量に殺戮されると厄介なので、絶望を回収した後の搾りカス(災厄や呪い、魔女の人間殺戮)は、できるだけ早く鎮圧したいので魔法少女に処理させる、魔法少女といっても、魔法少女化時点でプラス(希望)のエネルギーもとれるし、仮に絶望して魔法少女が”魔女”になっても、それはそれでそこからエネルギーがとれると考えたんでしょう。実に合理的というか、鬼畜ですね。




ただこれって現実世界にも言えることで、人間に都合のいい生物をみつけては、色々”品種改良”して、エネルギーや食べ物を人間にとって効率よく得やすい形にするのと一緒なので、人間を揶揄してる感じが面白いですよね。





◆通常アニメ版のおさらいと解釈・考察

魔法少女に一度なってしまえば、いつか力尽きその絶望し終わりを迎えてしまう。そんな運命を背負ってしまうまどかを救う為のほむらの奮闘が、アニメ版ですよね。さてアニメ版のラスト、まどかの願いで世界が改変されたわけですが・・・・
「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を、この手で」



”人間の感情はすさまじいエネルギーを持ち、絶望が災厄化する。”これは、まどまぎの世界では絶対的なことだと私は思っています。例えば、われわれが辛い思いをしないように感情をなくせばいいとしてしまったら、それはもう人間という存在ではなくなってしまうように、まどまぎの世界やまどかの認識では、災厄化は人間であるために消せない罪だけど、”魔女”(災厄や呪い退治に奮闘した魔法少女が絶望のうちに消滅してしまうこと)からは救ってあげたいと願ったのではないでしょうか。まどかは魔法少女の顛末を直前に色々目撃しているわけですし。人間の絶望→災厄や呪い。魔法少女の絶望や穢れ→魔女化。人々を殺戮する存在としては同一ですが、人間である以上絶対的におこりうる前者と、後者は別物ととらえていて、後者をこの世界から消し去った。




改変後の世界では、”魔女”(魔法少女の絶望による魔女・災厄化、誰かの為に戦った人の成れの果て)という存在はなくなったので、とある人間の絶望から変質する存在(時に絶望する人間たち)だけが世界にのこり、それを魔獣の呼称で呼んでいるのだろう。




というわけで改変後の世界では。QBは人間の絶望による魔獣化と、魔法少女の願いや祈りからのエネルギー(エントロピーのなんたらを阻止するエネルギー?)を手に入れてる状態なわけです。しかし、改変前の世界ではおこなえていた、魔法少女の魔女化(絶望)エネルギーが、なぜか回収できない状況をいぶかしがる。上述の通り、魔法少女の魔女化は円環の理(まどか)によって、絶望する前に救済・浄化されてしまうので、その謎の現象の理由解明のために、QBはほむらに罠をしかけることになるわけです。おそらく、魔法少女の希望や祈り(大幅なプラス)から絶望(マイナス)に落ちて爆発ときの方がエネルギー量が多いために、QBは、その分も回収できないかと考えはじめ多わけです。





◆映画版のほむらは何を考えていたのか??

改変後の魔獣世界でも、ほむらはまどかと過ごした改変前の記憶を保持しているので、大切なまどかという存在、その存在を救う助けたいという想いが心のそこにあるわけです。神様?円環の理となって概念化した存在のまどかを救うとはなんなのか??それをほむらは必死に考えた事でしょう。あるいはまどかただ一人に重荷を背負わせてしまったことを後悔もしていたかもしれません。



その結論として、人類補完計画ならぬ、まどか捕縛計画に至ったのではないでしょうか。魔獣と戦い力尽きたり絶望した最期の瞬間に、手を差し伸べてくれる存在がいるみたいな噂を聞けば、(改変された世界では過去から、まどかが救いの手を差し伸べているので、噂や伝聞として残っていておかしくない。)事情を知っているほむらにしてみれば、魔女化する直前に概念となったまどかと接触するチャンスがあるとそのあたりからほむらは考え始めていく。




もう納得を優先した理屈作りですが、ほむらの計画(実験)としては、どんな姿になってもまどかと一緒にいられればそれでいいと思っていたらしいので、魔女化するギリギリ直前にはまどかがきてくれて、円環の理にひっぱってくれる=そしてまどかとずっといっしょ。当初はそれだけの優しい夢のような結末か計画だったのかなーと思ってます。導かれると消滅してしまうだけでまどかとずっと一緒に居ることにはならないかもとか苦悩してたかもしれませんが。




丁度同じ頃、QBはQBの理屈で、ほむらの魔女化を計画通りと待っていた。障壁を作ってほむらを隔離し、ほむらは想定外にもQBに利用され、まどかをおびきだすえさにされてしまう。中途半端に魔女化している自分の結界内で、ほむらは自ら記憶改竄してしまい、まどかにあうために魔女化しようとした記憶も忘れてしまうし、円環の理として助けに来たまどからも使命を忘れて一時の平穏を過ごしてしまう。



ほむら自らの結界以内にいるときには、記憶改竄の影響でまどかに会う!よりも、まどかを助けたい=まどかの存在をQBらに教えて管理させる可能性を与えるぐらいならと、魔女化を促進させてQBに観測させないよう自殺行為をおこなおうとする。



しかし、まどからの助けで、魔女化はとまり自分の結界から、障壁からも脱出して目を覚ました時、当初の目的であったまどかへの接触と救出を思い出してしまい、そして、都合の悪い事に、まどかの本音?(ひとりぼっちは寂しいよ)を聞いてしまったほむらの中で生まれた、まどかを一人にさせないという願望と、愛という感情エネルギーの爆発で、まどかに導かれる漠然とした願いより、人間のまどかを引き裂くという世界を改変する願いを思いつくというか、そちらを見つけ選び取ってしまったのではないでしょうか。






◆本題、映画のエンディングについて

ほむらが改変したあとの世界は、つまるところ、”まどかを救う・助ける為なら、どんなルールや秩序も無視し、まどかを救う欲望のために世界をかえられるほむらという概念が世界に誕生した世界”だと思う。



冒頭で述べたとおり、感情エネルギーは絶対的なもので人間の消せない罪なので、普通の人間が絶望して、呪いになることは改変後も組み込まれた世界なわけです。しかし呪い(災厄)である魔獣がはびこると、人間がやたらめったら死ぬので、呪いを退治できる魔法少女生成システムをもつQBをほむらは逃がさなかったわけです。(QBがいないと、ただただ絶望した人間の災厄化した殺戮を受け入れるだけになるので、人間の死ぬ数が増えることや、まどかの大切な人間が巻き込まれる可能性を避けたかったのでしょう。)



感情エネルギー&因果律で世界すら改変されるので(QBの存在を世界から消すこともありうるかもと懸念して)QBは、人間への関与をやめよつとしたわけですが、逃げられず。あのぼろぼろになった姿は、ほむらの支配下にあるという描写かなと思います。



もうちょっといえば、人間の感情エネルギー回収プロジェクトは中止し、プロジェクト規模ではQBは動かなくなった。魔法少女化システムの部分だけをほむらに利用されているので、1匹?というか、相応の少ないエネルギー(ぼろぼろのQB)しかよこしてないともみれる。




こうして考えると、ほむらが人間まどかをくみこんだ改変世界のエンディングは何が変わったのか??
・一般人が絶望エネルギーから魔獣化する。(改変前からかわらず)
・魔獣被害(呪い)を食い止める為に、魔法少女がいる。(改変前から変わらず)
・しかし魔法少女は、最期には円環の理で浄化・救済される。(改変前から変わらず)
・円環の理の一部である人間まどかの記録を剥ぎ取った。まどかを復活させた。



その他多くの人間や、世界にとってはなにも変わっていない。しかし、ほむらにしてみれば、まどかを一人ぼっちしないで、人間として生活させることに成功という偉業をなしえた。あとは、まどかの傍にいて、まどかを絶望させずに、災厄による突然死や事故死から守り続けることさえできれば、完全に願望の叶った世界。あまたの時間を潜り抜けてようやくたどり着いたゴールなのは間違いないと思う。ほむらに感情移入してきた側なので、非常に嬉しい。



魔法少女にさせない&ワルプルギスの夜からまどかを守るをクリアしようとするアニメ版より、はるかに楽なハードルでしょう。そしてそれらが仮に来ても、いまのほむらなら簡単に葬りされるほどの力を持ったわけです。まぁ他にも、QBがまどかを魔法少女にする危険はあるものの、まどかを救う概念でもあるほむらにしてみれば、その瞬間にQBを世界から抹殺するように改ざんできそうですし、何があってもまどかは普通に幸せに暮らせることが約束された世界。



ただ、残念な事にほむらにとって嬉しい思い出の校舎案内をしてすべての始まりから、またやりなおそうとしたのに、まどかは何かに気づき、神化?神とのリンクの復活?神との同質化?をはじめてしまう。そしてほむらは気づく。いつの日になるのかは分からないが、秩序やルール(自分を犠牲にして、みんなを救う事やみんなのためになることを優先してしまうまどか)対それを破壊するもの(みんなよりまどかだけの救いをおいもとめるほむら悪魔)の対立が生じるだろうと。



いつか、まどかだけを幸せにするためのおかしな世界だとまどかが気づいたときに、自分の願望よりみんなの幸せを優先するべく、ほむらの作ったおかしなルールを破壊するだろうことが予見できてしまったわけです。でも、ほむらは、そんな誰よりも優しいまどかだから好きになったし、ほむらのルールを今度はまどかが壊しにかかろうとも、それでもまどかを守り続けるという決意を新たにリボンを渡して歩みだす。






◆では、結局・・・救われたのは?

ほむら、まどか以外の全員。



感情エネルギーが絶望化するのは人間として仕方ないことという前提に立つのなら、それを最小限に食い止める魔法少女システム(願う代償に、魔獣と戦え!ギブアンドテイク!)が確立し、人類や魔法少女の犠牲は減った。また、まどまぎ世界に直接的に関わる魔法少女(さやか・京子・マミ)は偶然も含め、人間として復活をはたしているわけで救われたと思う。魔法少女の時の方が幸せ、たったひとつの願いがかなったほうが幸せというのなら、今から魔法少女になったっていいわけだし。そう願い、だれかはもう魔法少女になっているのかもしれない。しかし、確実な終わりをまつ昔の魔法少女より、この世界の魔法少女の方が恵まれた境遇だと思う。



ほむらは1つのゴールに到着したので、ある程度救われている。ただ、永遠のおいかけっこがこれから始まる。ほむらが変えた世界を、まどかがみんなのためにまた改めようとして、そして、ほむらがそこに抗いまた別のルールにしてしまったり、それにまどかがまた・・・。


まどかが自由に世界を改変させることはできないだろうが、円環の理になったときのように展開次第では、また可能だろうと思う。なんてたってまどかのために作られた世界なんだからアニメ版以上に、その因果律の収束(エネルギー)は半端ないだろうし。



こうして世界を改変させられる二人からすれば、もう外の事象や環境はすべて無意味である。お互いの自由なように外をかえられるのだから、二人の純粋な主張や考えのどちらがまかりとおるかというそれだけの話になってしまう。ほむらのまどかを救う欲望か、自分よりみなを救うまどかの祈りか。



今回の映画では、ほむらの主張がまかりとおった世界が再構築されたものの、もしかしたら次は、ほむらを後輩にし、お姉さまと呼ばせようとまどかが画策した世界に改変されるかもしれない。(自分の欲望での改変をまどかはしないでしょうけど。)ほむらはほむらなりのまどかの幸せの形の愛を提示し、まどかはまどかなりにほむらを含めた皆への幸せの形の人間愛の対案を出す。そんな互いの愛を確認し、提案しあう仲睦まじい・・・まさに、喧嘩するほど仲がいいな永遠の愛のおいかけっこをする二人が誕生したのではないでしょうか。



まどかが、自分を犠牲に”皆の幸せ”とみんなを向いているのがほむらにしてみれば、非常に残念でしょうが、最終的には幸せなのではないでしょうか。ほむらがまどかに支配されて悪魔なのにみんなを幸せにして、一番最後に、ようやく私の番だね♪とまどかを幸せにしてあげるような未来になるかもしれないし。夫婦のように昼間は二人でみんなの幸せや世界平和に奔走。帰宅後は、ほむらだけのまどかになるみたいなほむらの願望ターンとまどかの祈りターンを夜と昼でわけたり。


ほむらがもっとストイックならば、人間まどかを残す為に改変化できる存在になるまえに通常まどかのまま縛りつけようとするかもしれないですけどね。そこはわからない。でも、ようやく二人が二人のための物語をあゆみはじめるのかなと。どこで折り合いがつくのかは本当に二人にしかわからない愛と人間愛との物語を。救われるかどうかは二人の愛次第の物語。