とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

あの日見た花の名前を僕は知らない なんて大嫌いだ! 全話鑑賞後の感想

ほんと今更だけど、あの花を観賞。声優さんの演技や演出(作画や音楽などなど)のセンスは超かみがってるアニメだと思う。盛り上げ上手ともいうその点はずばぬけている。ただ、脚本(ストーリー)は、だいっきらいだ。泣かせればえらいんじゃない。どこか雰囲気アニメだと思ってしまった。




◆両目に涙を堪えて、でどうしろと??と真顔で聞きたくなるラスト

最初から幽霊だってわかっていたし、成仏すると予告されていたわけだし、悲しいバッドエンドになるのはわかっていたけど、超平和バスターズは、死者に結局囚われたままの無慈悲なエンディングに思えてしまった。あのラストをみんな何かふっきることができたエンドに解釈する人は、それでハッピーエンドに見えるのかもしれないが・・・。私にはそう見えなかった。



めんまとじんたんがあくせくして、メンバー達はめんまにうらまれていない事を知れたし、ふたをしていた自分の本当の気持ちと向き合うきっかけとなったのは良かった事だけど、めんまが戻ってきた事に、救いはあったのだろうか・・・と思ってしまう。フタをあけてでてきた黒々とした感情は、昇華されるでもなく、むしろ沈殿していたよどみがあふれ出して全身に広がってしまったようにも思う。まぁ、メンバーの友情が復活したこともめんまのおかげかな。




全編通じて残された人のせつなさを心に訴えられたけど、ラストで死んだ人はもうどうしようもないと最後通告をされたような印象がした。どうせなら、めんまが戻ってきたからこその、新しい夏の1ページを、作って欲しかった。センスないので、いいの思いつかないですけど。ハッピーエンドでなくても、戻ってきたからには。



喧嘩別れのせいで、果たせなかった遊びの約束を、やり直したり。
めんまの好きなように時間を使わせて、ただただめんまによりそって新しい想い出を作ったり。
実はめんま植物状態で、息を吹き返したり。
実はすべてじんたんが事故で寝ている間にみた空想で、やっぱりめんまは錯覚だったんだけど、やりきったじんたんはようやく歩き始められたり。




◆好きな人には嫌われそうだが、細かい指摘も少々。

めんまの存在証明のプロセスが雑。
自分の妄想みたいな現象をおしつけたり、後ろ向きに思われそうだから、めんまの存在をすすんでみんなに証明するようなことはしなかったのはわかる。でも、信じてくれてめんまの願いをかなえてくれるとその気になってくれたぽっぽやあなるには積極的に、立証すればいいのにと思ってしまった。


・日記の筆談を通じて誰とでも意思疎通可能。
・食器や物を動かせる → こっくりさんみたいにして言葉を伝えられる。
・ものを食べられる → 粒状のもので数や解読表とあわせると何でもやりようはある。



物語の前半は、めんまに向きあわせる覚悟を持てるように、メンバーの心を動かすまでめんまの詳しい説明や証明を控えていたのはわかる。でも、後半のいるいない!!を秘密基地で言い争いになったときの日記帳のメモで、全員がめんまのことを信じ向き合うようになったシーンを見て、いるかいないかだけの話だったんなら、最初から上記の方法で証明してまわればよかったのにと思ってしまった。