とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

スクールカーストについて

小中高校と十数年生きた人には、学校に住む生徒同士の間に階級があることは、当然知っていると思う。その階級をテーマにした1冊の本を読んで考えたことを書いてみる。

■読んだ本

『悩める12人の中学生』こどうしい 角川文庫。
現役高校生が書いたらしい。ある中学三年の1クラスを舞台にして、階級の下から上まで、12人の目線から学級生活を描いた物である。下 中 上。普通この三種のどれかにぞくす。自分以外の階級の考えていることが、フィクションながら伺うことが出来る。

スクールカーストとは

スポーツを得意とする体育会系。
ヤンキー、不良系。


勉強を得意とする インテリ層
文化系の部活に属している層


地味な層


極度の運動音痴
KY・挙動不審 など


スクールカーストとは、クラスの中に存在する3〜4分類の階級。階級がわけられる原因は、はっきりとはしないが、運動能力と学術能力と容姿がメインであり、精神的な要素も幾ばくかはある。この階級の上は下に権力を持ち、学校行事といったクラス行動では、主導権を握る。この階級をまたぐ人種もまれに存在するが、基本的にはこの階級同士で群れる。

スクールカーストの発見その1 上と下の考え方の新発見。

自分は中の上に属していた。なので、上と下の考えは斬新だった。
まず、上について。上も、同じようにクラスに階級があるという認識を持っていた。そこまで考えついていたのだ。しかし、彼らが其処で取る行動は(価値判断は) 階級による自分の地位を維持すること。その地位を利用して、相手が嫌がる行動も肯定して、自分の利益のために行動していたということである。
つづいて、下について。下も同様に認識していた。上に利用されることも、利用されないように振る舞おうとしても、利用されることすら認識していた。耐えるしかないのが学校生活だと捉えていた。
つまり、どちらの階級も現状の認識は、自分と一緒だと言うことに気づき、むしろ其処で各自が(主に階級の上が)とる価値判断・行動が、スクールカーストによって起きる問題の根本なのだと、考えさせられた。


スクールカーストの発見その2 社会は、同階級の集まり?

同じ階級同士で群れる、居心地が良い。という考えの発展である。同階級とは仲良くなりそうな好印象で、話していてお互いに話が通じやすい。これすなわち、面接を通してなどの人物・適性判断に、階級補正が大きくかかることではないだろうか。
つまり、業界ごとの選別過程では、趣味や能力というより、そういう波長の類で見つけ出された同類が残るのではないだろうか。自分の父親は、社会を生きる上で、自分のポジションを見つけることが出来るかどうか。と説いていた。ポジションとは能力のように解釈できるが、階級という意味なのかもしれない。そう考えると、社会・世界は大きな棲み分けの図式に見えた。各企業ごとのミクロでも同様のことがありそうだ。いくつか留意することとして、

1,中階級同士でも多くの分類ができ、その中での上、下があるし、分化という意味で、同じ中でも、その上下が後から形作られる可能性も否定できない。要は、結局は上中下となるという予測である。
2,上階級が、あえて雑用を任せるために下階級を招き入れることがある。要は、既に内部の人間が対等の人間より少し低い人間を取るかも知れないということである、
3,上階級=トップは司令塔や決定権を担うことから、多くの人数は存在できないということ。
4,同階級同士をお互いに即座に把握できるわけではない。などなど
こういったことから、社会は同階級の集まりとは簡単にはいかないようである。とはいえ、自分の集団に同質的で、仲良く問題を起こさなそうな人の方が選ばれるというのは当然のように感じる。