とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

世話焼き。お節介として頑張るために

相手から相談されるなら、だれでも相談に乗るだろう。ただ、それではいけないのだ。相談れるのを待つまでもなく、自分が相手の状態を見て、これは危険な傾向だと判断したのなら、自分から相手に手助け。世話焼きをするべきである。
このことに気づいたのは、ひぐらしのなく頃にというゲームからである。
拙い表現力ではあるが、初心を忘れないためにその気づいた事例を書く。
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ひぐらしは、そもそも仲間との信頼をテーマにしたゲームである。

そのため、度々次のような友達の苦労を主人公が一緒に助けるシーンがあった。

サトコの苦悩。

叔父から虐待を受けていた。しかし、以前に大好きな兄を頼ることで逃げていたサトコは、今度はしっかり兄のために我慢する番だ。と虐待を堪え忍ぼうとしていた。ここまでサトコが助けを求めずに我慢するのは、昨年に、叔父からの重圧を受けて兄が失踪していたことが原因であった。しかしそれゆえに、今年の虐待では、徐々にサトコの身体は蝕まれていく。主人公たちは、三連続で休んだ後に学校に訪れたサトコの様子に愕然とする。元気がなく、手を伸ばそうとすると身体がこわばるその様子に。



主人公は選択する。サトコが助けを求めるまで、準備をして、後は待つだけだ。と
主人公は選択する。その元凶を倒す。その叔父をぶち殺してやる。と
主人公は選択する。自分から動いて、こうした方が良いという行動を起こそう。と



■ゲームの選択と同様に、私も上の順番で同じように考えていた。

ただ、その上2つの選択の結果は、目も当てられない末路を導く。その選択の失敗を皆に責められながらのバッドエンドを迎えることで。

私は選ぶ。従来の本来の自分の選択を。

児童相談所や、法律によって、本人の助けがないと駄目というなら、頼られるまで準備だけして、どういう行動をとろうかと考えながら、サトコの助けを待つと。
しかし、驚くほどあっけなく、4,5日でサトコは壊れてしまった。


私は悟る。今度は次のようにしようと。

もし相手の助けが期待できないのなら、相手が気づいたときには全て解決している状態にすればいいと。叔父を殺して死体を隠し、完全犯罪にすれば、サトコには失踪と思われ、気づいたときには、幸せな日々に戻っていると。
しかし、兄のために自分が耐え忍ぶという機会を失ったサトコは半狂乱に陥り、いつもどってくるかもしれない叔父の影に怯える。見かねた主人公が殺したこと打ち明けるも、もはや今までの日々には戻れなかった。


そして、最後に私は悟る。本当の答えを。

相手が大変な状態になっていると感じたのなら、ただ待つのではなく、自分のできる範囲を相手にぶつければいいと。それは迷惑かも知れない。もし、相手が迷惑だといってきたら、本当に迷惑なのか其処で腹を割ってはなせばいいと。




ひぐらしというゲームを通し、相談を学んだ。幾度の選択肢の失敗を経て、そのたびに残酷な結末と、周囲からの自分への叱責を受ける。そして最後に、待つのではなく相手のためと考えたなら動くこと。それで失敗したらその時また、相手と話し合えばいいと。