とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

何で、どういう風に、表現するのが適切なのか 構築中・・・・ Ψ

最近読んだ本で、過労死100当番の弁護士が出した本を読んだ。それをもって考えさせられた。適切な表現(適切な媒体)とは何だろう。


■考えさせられた経緯

時間を売るお店。その言葉に惹かれ購入。1日26時間で生きる人に生じる新たな苦痛。26時間生きることで激変する日常。そんな内容を期待していた。しかし、中身は、時間が欲しいいろんな人の苦悩の様子が詳細に書いてあり、時間をあげるからもう大丈夫\^。^/ という章ごとの短編集だった。



作者の肩書きをもういちど思い出して欲しい。
過労死100当番の弁護士である。つまり、この中身は、小説ではなくただのドキュメンタリーなのである。相談内容をまとめ直しただけなのである。誤解しないで欲しい。自分で考えてないから、こんな本は無意味とかそんなことを言いたいのではない。時間を売る店という大衆小説。エンタメ小説の体裁をとらないてドキュメンタリー小説という分野で表現されるべきだったのじゃないかということだ。



■何を、どういう風に、表現するのが適切か

経営的な視点で、本の流通経路やデザイン、広告戦略を考えるべきというのではない。私の視点は、伝えたい内容があるなら、それをもっとも伝えられる形で、表現することが重要だと考えるのである。ケーキの見た目をしてるのに、しょっぱかったら違うだろう。甘い!!ってことを伝えたいなら、ケーキの見た目をすればいいのだ。


もっと言い換えるなら、
小説で表現する意義。映画にする意義とは何かという大きな判断基準から、小説の中でも、ドキュメンタリー、純文学、ラノベ・・・どうかき分けるのかという小さな判断基準の区別をする必要がある。