とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

ロリータ ウラジミール ナボコフを読んで

題名の本を読んだ。自分は新潮文庫の訳のものを読んだ。
興味深い点は、2つあり、
1つめは、ナボコフが生み出したニンフェット理論であり、
2つめは、ロリータと性的関係をもった後の、作品の破綻である。

■ニンフェット理論とは、

10代前後の少女100人の中に、数人はある属性をもった少女がいる。その属性を持った少女をニンフェットといい、20歳も数十歳も離れた男を魅了するのだ。その属性は明確に定義できないが、見れば感ずる物である。しかし、この属性は、そのローティーンの時期を過ぎると失われる物である。(曲解レベルの要約)


■ニンフェット理論の面白さ

ロリータ(未成熟な女性を愛する人)という解釈を変える物である。その原因を男性側ではなく、女性側に置き換えたこと。加えて、一時期に稀に現れる属性を愛するとすることで、女性を連続して見ないように解釈したことである。説明を補足すると、成熟ー未成熟という視点をなくし、ある時期の女性が好きな1人の男にしたということである。50歳以上であれ、20代の女性であれ、そういった好みとロリータを同列に扱おうとした。


おそらく、この2つの視点の切り替えで、道徳的でないという批判や批難は消え失せるだろう。繰り返すが、突然変異の少女が誘惑するのだし、それは未成熟に惹かれてるとは違うとするからだ。しかし、それでも1つの大きな問題は残る。それは判断力の有無である。非合意の上でなら、いかなる年齢の女性でも犯罪であるが、合意の上という場合でも、その幼い子には十分な知識や予測があったのかとなる。とはいえ、こう考えると法律行為や選挙権の問題とほとんど変わらないように感じる。




■作品の破綻。

性交をする前の内的な葛藤期と、性交後の退廃的な生活の日々に分類できる。前者は先のニンフェット理論や、自分が興奮してる素振りを見せようとしないで強がる様子などその葛藤に興味惹かれる。一方、後者は、お金を渡したり、なだめすかしたり、気にくわない様子ながら、性交のために一緒にいる日々が続く。この後者の部分では、あえてなのか、彼女の魅力に陶酔する描写も、変化し始めた彼女との関係に苦悩する描写も、無視される。驚くことに、ほとんど書かれていないのである。前者の頃に、あそこまで彼女のことで苦悶していた男は、性交するしか脳のない男に変わっている。


肉欲に溺れた。そういう解釈も出来るが、それならそれで、彼女との性交以外何も考えられなくなる自分という姿を反省的に見る、もうひとりの自分の描写があってもいいように思う。