とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

真似ると学ぶ

両者は似ている。新しい知識やスキルを手に入れるときに、真似る(他者からの知識を自分の物にすること)がそのまま学ぶことになるからだ。どこかで聞いた話だが、人間の考えることの99,9%は、それまで蓄えた知識のつぎはぎだ。つまり、自分で考えたことのほうが、自分の成長に大きく関与するとはいえない。所詮、流用だ。


今回は、成長に必要なこの真似るを分析的に書く。

■1,真似が上手くおきないときの説明

良い物を取り入れていくのが人間だ。効果・効率が良い方を真似る。しかし、それが妨げられることがある。
1,自尊心の葛藤(ライバルからのアドバイスは聞けないなど)
2,自分では、現状を良い感じに思ってる。(問題意識の未発生)


特に、2はスキーマの問題といえる。スキーマとは、自分が現在直面している物事に対して持っている考え方の枠組みだ。例えば、カレー作りの時、カレーを美味しくするには、という彼の枠組みがある。その1つにリンゴを入れるなどがぶらさがっている。これがスキーマである。これが、現状をねじ曲げて解釈し、間違った方法を試し続けることにもなる。


これは、非常に厄介である。美味しいカレーは、リンゴを入れちゃいけない。と説得するには、自分の枠組みや知識の正当性を証明して、相手のスキーマを変えなければいけないからである。つまり、知識の正当性の証明合戦が厄介なのである。
それは、高度に専門的な知識が必要にもなるし、それを表現する、記憶力に表現力も必要だ。また、答えがないなかでも答えを出していくという、議論のやり方もお互いに熟知していなければならない。そして、知識その物が、実は証明できない不可能性を抱えていることも問題を複雑にしている。





■解決策

結論から言えば、どういう条件で相手のやり方を受け入れるかのルールを事前に作っておくのである。議論において、お互いが正当性を主張しあった結果、論理的な話し合いから離れて政治的あるいは暴力的な方法で、結論が決まることがある。そうならないために、どっちのやり方が正しいのか、仮にでも【決断する】ルールが必要なのである。つまり、話し合い(証明)の問題ではなく、決断の問題なのである。


自分がいくつか提唱する物は
1,間違いが露見するまで、各枠組みは共存可能であり、仮に、或る解釈が整合性を示していても、それが唯一の正しい枠組みだとは断定しないこと。

2,解釈の破棄の条件作り
  ・多数決で破れたら、素直に退散
  ・一度は実行した上で 差を比較するようにする
  ・責任は、賛成派に多く負担させる


■終わりに…

枠組みは、各自が持っているべきだ。新しい知識を枠組みに取り込むかの判断基準も各自がもっているべきだ。ただ、その枠組みの最小単位であるセル(造語)は、取り込んではいないけれど自分は知っているよという状態が望ましい。リンゴを入れたら美味しくなる。それはしってるって状態の方が楽だ。そしてできれば、自分の物事の枠組みを相手に明示できればなお話は早いとおもう。