とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

真似ると、学ぶ その2

真似ることは学ぶことであり、それは物事の理解の枠組みをすりあわせる行為だとした。そこには、自尊心的な問題もあるが(ライバルからのアドバイスは聞きたくない)この、枠組みのすりあわせ事態がやはり相当難しい。


■枠組みのすりあわせの難しさ

最近いろいろと新しい知識を手に入れるときに、自分の態度を分析的にみていた。すると、新しい知識を自分の中に取り込むことは難しいように思った。つまり、

1,自分の中に既に、似た枠組みがないと取り入れができない
2,枠組みは存在していても、新しい知識の有用性を理由に、活発なすりあわせがおこなわれないことがある。

前者は、労働問題の本など読んでいた時のこと。使えそうだ・ためになる話だと思っても、自分の知識の中に枠組みがないと、それを何処に定着させればいいかわからずに、忘れてしまうということがよくある。わかったつもり状態である。


後者は、映画版ハルヒ消失の解釈ページをみていた時のこと。同様に、ためになる話だと思っても、自分がその知識を披露する機会や相手がいないと、積極的な吸収がおきなかった。ためになるなぁとは思っても、使う場所がないだろう知識は、上手く結合されずに定着しない。同じ映画を見ていたため、或る程度は共通認識が存在したにもかかわらずだ。



■前者も後者も、其処に共通する考察の先がある。

それは、自分を取り巻く環境は、その知識を本当に必要としているのかである。自分の中に新しい枠組みを作ってまで、知識を理解しようと努めなければならない事柄なのか、使う機会があるかないかもわからないのに、知識を理解しようと努めなければならない事柄なのか。

言い換えるなら、どの知識を真剣に学んでいくかの決断の問題なのだ。考えることと実行することでもかいたが、やはり、自分が直面する問題なのかという実行的な側面は非常に大きいのである。