とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

キャラの魅力に関しての理論の延長

『美少女の現代史』という本を読んだ。その中でキャラの魅力に関わる部分を取り出して、自分の知識にしたいと思う。以下いくつか面白かった話。

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

「美少女」の現代史 (講談社現代新書)


■キャラの魅力を、年齢的な分類

1,子供向けのキャラ → かっこういい 強い かわいい という単純な憧れ
2,思春期以上向けのキャラ → 性(愛情、恋愛感情)の概念が強くでてくる。
恋愛感情を軸にしたキャラ作りという考えはあったが、幼児向けには・・・という視点が参考になった。少女向けのプリキュアとかに大きなお兄さんが反応するのは、かわいらしいという魅力を、愛情や恋愛感情にまで昇華しているからだと考えられる。だから、大人でも子供向けのものを見る場合がある。


■萌というキャラのデータベース化。一般化。

従来の文学作品(漫画作品)などにもヒロインは存在していた。しかし、ヒロインの描かれ方は作者の感性で描かれていた。それは読み手が作品の文脈から、この子をヒロインとして物語を読めばいいんだなと理解するような見方だった。しかし、そのヒロインがストーリーを抜け出して、絵柄、性格(行動傾向)の個別に存在できるキャラ的な部分で一般化された。つまり、皆がある規則に従うことで、現在の美少女のオタク絵の形に定着したのだ。この一般化する過程が、美少女像が造られた過程であり、美少女の歴史である。



■萌が生まれた背景。ストーリーではなくキャラ偏重の背景。

社会情勢・時代と深く関係している。社会に不満や不備がありそれを変えようとする。あるいは、誰よりも偉くなる。そういう男の生きる目標として、昔は1つの価値観があった。社会を変えるや、熱血や、偉くなるである。しかし、生きる目的・価値観の変化が起きる。80年代以降は、新しい生きる根拠(頑張る根拠)が、女性に好かれることに取って代わったのである。恋愛至上主義といいかえても良い。

例えば、うるせいやつらや、タッチなどがそうだ。主人公の強い目的があるわけではなく、女の子に振り回される男主人公が主役なのだ。彼等の話を進めていく動機は女の子、ただ1つなのである。これは世界系といわれる最近の物語の傾向と同じ概念だ。女の子の恋愛と世界の崩壊が同軸で語られていくという涼宮ハルヒ的なあれだ。ギャルゲーもその代表だろう。自分がどうしたいとうより、美少女の気持ちを第一にそれに添うように行動する選択をひたすらするのだから。


■キャラ偏重の萌の変化。深層化

女性に付き従う。生きる目的・動機がこういうパラダイムになったことがまず大きな変化だが、その女性に従うも徐々に変化していった。女性に従うためには、女性の事をよく理解する必要があり、彼女の望みを知る必要がある。そのため、美少女から好きと言われる話の流れに加えて、彼女の過去の苦労話が悲痛な話が展開される。つまり、女性の内面性が吐露されることもそこで非常に重要になる。



ただ、そうして女性の内面性にまで触れて自分の行動動機にしようとすると大きな問題が出てくる。それは、自分という存在や行動も、彼女の内面を傷つける可能性があるからだ。彼女に振り回されることは、彼女に愛され、傷つけたくないという心理である。だから、内面性から距離を置くために、関わらずに『見ること』で完結しようとする精神があらわれはじめた。例えば、エロ同人誌で、女性と交わる男性の身体がかかれていない性描写などが、『見ること』で完結できるように変化したことがあるのではないか。自分という主体として女性に関わることが終わり、『見ること』で女性を傷つけずに女性に愛される自分を手に入れようとしたのだ。



草食系男子という存在もこの概念の延長にあると思う。生きる動機に女性を必要としなくなった男達。つまり、社会を変える→女性のために頑張る→×××× この×の部分にうつる過渡期なのかもしれないということだ。
あるいは、女性のために頑張るという理屈は変わってはいないが、『見ること』の完結がさらにすすみ、現実の女性に対しても、傷つけたくないからすごく優しいけど、ぶつかるような接し方、自分が付き合うというような接し方をしようとしなくなったとも解釈できる。



■最後に

まとまってなくてすみません。1書き込み1テーマですらないですし・・・
まぁ、本を読んで感じたことをだらだらかきました。