とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

『魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜』を見て

【10年前だったら流行ったような古さ、古き良きモノ???】



一応自分がみたのはアニメ版。劇場版の予告cmを見ていたから、なんとはなしに結末は知ってしまっていたのだけれど、東京のうだるような熱さに惹かれ、”夏の”アニメを見たくなってみた。



■古い。

0年代のアニメ論・文化論について熱く語ることは、以前も述べたが勉強不足であまりできない。ただ、とはいえ最近の作品としては古いなと思った。最近の作品のウリは、
・メタ性を強く演出、利用(ハルヒなど)
・リアリズムを追求したリアルSF?リアルサスペンス? (ガンダムOO、デュラララなど)
・ゆるさ なごみ系(けいおんかなめもなど)
・キャラ萌第一(なのはなど)
というあたりかなーと、4分類している。



一方で、魔法遣いに大切なことは、ちょっとしたオプション(設定や事件)+恋愛+別れという王道らしい王道ラブコメ(ギャルゲー)のように思う。最近は、あまりこれ系統でうれたものは見ない気がする。個人としても、あまり楽しめなかった。



■王道を突き詰めるか。新しい面白さを追求するか

君が望む永遠などの作品を考えれば、ただ”出会い”と”別れ”の学園モノであっても面白いし人気が出る。それは、”出会い”と”別れ”に至るプロセスで様々に気持ちが変化していく感情描写をしっかり出来ていたからだと思う。主人公やヒロインの別れがたい気持ち。悲しいけどどうしようもできない気持ち。そういう切なさを徹底的に書き切れれば上手くいくということだ。


魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜は、アニメで尺が限られているせいかそのあたりが表現できず、唐突に別れまで持って行かざるを得ずに、よってうまく共感出来なかったのだと思う。じゃあどうすればよかったのか・・・についての具体論は、誰も読みたくないだろうし価値もないと思うので、あまり真剣に考えたくはない。ただ、1つだけ挙げるなら

【なんで、ゴウタはあと少しで別れることになったソラの傍にずっといない??】