とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

西村京太郎 『名探偵シリーズ』を読んで

西村京太郎が書いた名探偵シリーズとは、世界的名探偵であるメグレ、明智ポアロ、クイーンの4人が出てくるミステリのことである。「世界的名探偵に是非挑戦して欲しい事件がある」と富豪などが呼び寄せるような形で物語がはじまる。4人の探偵は、読者に思わせぶりな台詞でヒントを常に与え続ける役回りだ。こう聞くと聞こえは良いが、実際の本編だと思わせぶりな態度や台詞に苛立たされることも多い。何か答えに気づいたら教えろよwと言う気持ちだ 笑


名探偵も楽じゃない (講談社文庫)

名探偵も楽じゃない (講談社文庫)

名探偵が多すぎる (講談社文庫 に 1-5)

名探偵が多すぎる (講談社文庫 に 1-5)

新版 名探偵なんか怖くない (講談社文庫)

新版 名探偵なんか怖くない (講談社文庫)



■くつがえされる推理と確率論的推理。

少し前の感想文で書いた戯言シリーズにおいては、哀川さんというキャラが物語の最後で”改めて”謎解きをする。それは、その直前にいーちゃんが話して見せた謎解きを否定して、である。こういった、推理を覆すこと。つまり、1度目の推理で納得した読者に、改めて別の正しい推理を聞かせることは、実は頻繁に用いられる手段なのだと気づかされた。今回の名探偵シリーズにおいてもそれが行われたからだ。前回の感想では、作者が読者を嘲るために、こういうくつがえす推理を作品に組み込んだのだ!!と息巻いていたがどうやら勘違いらしい。反省。


くつがえす推理をみて、所詮ミステリの推理とは確率論的な推理なのだと考えさせられた。どういうことかといえば、事件を説明するいくつかの事柄を因果関係や動機で結びつける際に、その繋ぎ方や意味の付け方を変えるだけで、いくらでも推理が作れるということである。だから、Aという推理もBという推理もCという推理も可能なのである。ただその中でも、たしかに一番それらしい現実的だと感じる案が答えとして本の最後に書いてあるということだ。つまり、その”最後の答え”を”正解”としているということだ。



情報を完全に見落としていたり、情報がないのに決めつけてしまうという露骨な方法で、偽の間違った1度目の推理が行われれば、それは間違いだとわかる。しかし、ありえるけど現実的可能性が低いという理由で、1度目の推理が2度目の推理に破れるような場合は、完全に納得できなかったりする。こういったことで、推理とはどこか確率論的なものなのだなと思う。



確率論的なもので或る以上、実のところ完全な推理ゲームとして成立はしていないのではないか?とも思う。100回やって1回しか成功しないトリックを使ったという推理は自分も認めないが、70%ありえる方法と50%ありえる方法なら、どちらが正解でも其処までの差はないように思う。それぐらいの確率なら現実にトリックとして使われた方法かも知れないのだから。大きく言えば、これもミステリーのフェア・アンフェア論争の一部を構成しているのかも知れない。