とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

愛についてもうすこし考えなければならない

メイド諸君!』全4巻 きづきあきら+サトウナンキの作品である。メッセージ性の強い作品を書く漫画家で、ヨイコノミライなんかも自分は好きな作品である。今回、そのメイド諸君を読んでいて、愛について全く考えが浅かったことに気づかされた。それについて少し書く。結論から言えば、愛は鏡であるということだ。

メイド諸君! (1) (ガムコミックスプラス)

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■愛は鏡であるということ

この作品のテーマになっているのは、愛は鏡であるということだ。愛は鏡とはどういうことかといえば、それは自分を好きになってくれる相手で、自信のない自分を確かめようとすることであり、彼女との付き合いを通して自分の欠点や自信のなさが浮き彫りになるということでもある。つまり、結局は相手を好きなのではなく、自信のない自分の補完や発見を相手に求めているだけだということだ。相手自身を無視し、自分勝手の極みである。
それを表す印象的な台詞は、『僕が恋愛だと思っていたモノは、優しくしてくれる相手に対する甘えだったんだと思います。』





■作品の感想的なもの(自分の女性観の振り返り)

愛は鏡、鏡といわれてたのに実は最後までよくわからなかった。何とか最終巻であぁ、こういうことかと上の話を理解してきた。その自分の無理解を顧みて、愛について未熟だったのだと思った。目の前に女がいるかいないか。個別的な女の欠点の指摘。SEX技術やら。そういう目先の女性の存在でしか、あるいは創作物のキャラクターとの恋愛でしか、自分は愛をみていなかったように思った。




今まで振り返ると、綾波マンセー的な家来型(無口従順型)の女性との恋愛が至上のもののように考えて、相手が自分の思い通りになればいいという空想で思考停止していた。あるいは逆に、超天然ハルヒマンセー的な家来型(自分が家来)として、相手のわがままを全て聞いて奉仕してあげて、相手の彼女が幸せそうなら良いだろうと。同様に空想で思考停止していた。つまりは、相手か自分の0か100かの予定調和。そういうわかりきった世界がすごく気楽に見えるせいで、その世界を変に理想視していただけだった。一応、何故気楽かと言われれば、何も考えなくて良いし、責任がないし、自分が傷つかないからだ。自分や相手の、一方の完全に思い通りの世界なら。




今は、梨穂子(アマガミマンセー状態で、気の合う癒し・癒されの関係を切望しているのだが。自分自身が直感で感じる好みと、実際の相性の違いなんてものも最近すこし気づき始める年頃になったが、まだまだ愛について考えが浅かったように思う。自分はどんな愛を欲していて、それは世間にある愛の中でどういう位置で、その自分流の愛を貫くには、どんな条件を守らなければいけないのか・・・などなど。愛についてもうすこし考えることがたくさんある