とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

名言集 まとめ

人間が世界を言葉で考えると言うのなら、この世界に良い言葉を・・・喜びを与える言葉をもっと増やせればいいと思う。そうすれば、世界はもっと幸せなものになる。そのためには、良い言葉を覚えなければならない。良い言葉を自分から発信していかなければならない。と難しく書いたけれど、


単純に言えば、心惹かれたいい言葉があったらそれをどこかに書いてみる。すると段々その言葉をしっかり覚えてくる。覚えてくると声に出して使ってみたくなる。使っていればそれを聞いた他の人にも広がっていく。それだけだ。というわけで色々書いてみた。


名言―人生を豊かにするために

名言―人生を豊かにするために



■名言集

流らうべきか、死すべきか、それが問題だ。

仕事などで自分の意思に反することを求められるときが来る。それは死んだ方がマシというぐらいの大問題かもしれない。それぐらいの心意気で自分の意思を持つ。


男はあまりに早く人生を知りすぎ、女はあまりに人生を遅く知りすぎる。

人生において”何が重要か”に気づくのが男と女では違いすぎる。結果、物事の判断基準がすべてずれてきて・・・女の考えはわからないとなる。


君は本気で生きているか?

今よりももっとやれるだろう??それが全力じゃないでしょ??という自分に期待をかけて自分を鼓舞する言葉だと思う。


身を切るような経験を通して、私たちは学びました。合理的に思考したからといって社会生活に生じる問題をすべて解決できるわけではないということを。

貨幣経済に成り立つ経済システムや合理的意思決定なるものを突き詰めても幸せにはなれない。経済のルールを狡猾に使いこなす奴らに意見する時に思いだしたい言葉。


決断と忍耐はもっとも高貴な精神である。

決断も忍耐もすごいプレッシャーが伴う。その時にこの言葉で肯定してあげれば、プレッシャーに流されての行動ではなく一旦落ち着いて、誇りを胸に行動できるはず。


極論が2つある。理性(合理・論理)をすぐに否定するものと理性以外認めないもの。

子供の時から青年の時にかけて両方の考えを経験しましたが、理性以外認めないというものも間違いだと見つめなおしたい。そもそも人の心が理性的(合理)ではないのだから


私以上に君に必要なものだ

相手に物を譲るときに、これ以上の理由(説明)が必要だろうか。最初に使われたのは戦時中の負傷兵に貴重な水を分け与えたところかららしい。


志をしっかりもったものは幸福である。しかし、そんなものでも悩む時がある。ただ長く苦しむことはない。また誤って苦しむことはない。

道・志・信念・真理などなど。どんなに心が成長し一つの方向を見つけたとしてもそれでも迷いや悩みは時々現れる。けれど、その悩みは必要以上に苦しみを与えるものでない。手塚版ブッダを読むとこの言葉の意味は良く伝わると思う。


この人生には無数の教訓がちりばめられている。しかし、どれ1つとっても万人に当てはまるものはない。

名言であれ本であれたくさんの知識がある。全てを覚えきれないのは残念だが自分の心に強く呼びかけるものを覚えるだけでも十分価値がある。


自分に関わる出費を抑えるのが倹約。人に関わる出費を抑えるのがケチ

ケチは会話や雰囲気の気まずさを生み、次の誘いをしずらくし、付き合いが悪くなる。500円、1000円以上の価値がある人脈や友情をケチのせいで失う羽目になる。


不運や不幸はわれわれから時間と金を奪うことはできても、勇気を奪うことはできない。

完全に自分とは関係なしに苦しい状況に陥ったとき、世界が自分に敵対してるようにさえ感じるその時に、勇気(熱意)を奪うことはできないと声に出して言いたい。言ってあげたい。


夢(理想)とは、一人の青年の夢想ではないし、たんなる抽象的概念でもない。生活において必ず現実の力として働くものである。

夢とか理想とか信念というと酷く地から足が離れた浮ついた言葉に聞こえる。しかし、誰もが本当は夢を持つように、本当は夢に向かって努力してるように、ちょっとずつ理想に向かってて日々進んでいると思う。


金儲けとは、自分の勤勉によるものか、他人の愚かさにつけこむしかない。

オークションに参加してみると実感する。相場を知らない人や善意で安く売っている人から購入して転売する奴がいる。自分で商品を探して出品するより楽だからって・・・ソレは人として違う。


才はなくとも、人格は備えなければならない。

どらえもんののび太君のことだ。ただ、才がなければ人に頼ったり協力してもらわなければならないから自然と人格は身につくと思うのだが、人生そうでもないから不思議である。


もし本当に一方だけわるかったのなら、ケンカは長続きしないでしょう。

夫婦間。付き合ってるカップル間。保育所や幼稚園の子供間。それぐらいでしか残念ながら使えない言葉。それ以外の年齢は対立を表面化させないから・・・。


正直に自分の無知を認めることが大切だ。そうすれば必ず熱心に教えてくれる人が現れる。

自分もそうだけど”教えたがり”が必ず居る。


自分を責める必要はない。必要なときにはちゃんと他人が責めてくれる。

どれだけのミスをしたのか良くわからない。どうすればリカバリーできるのかわからない。そういう新人がミスをしたときには、自分を必要以上に責めてしまう。昔の自分を思い出した。しかし、そこまで大変なミスは新人が起こせないものである。


勉強するに当たっての良い勉強法は、自分で経験するというやり方に優るものはない。

記憶や思考という脳の細かな使い方を口で教えることは結局できない。だから、自分の勉強理論は自分で確立しなければならない。量が質に昇華するときを信じてやり続けるのだ。


反対意見のない場合、結論を出してはならない。勇気と勉強が不足していると反対意見は出ないから。

形式だけの会議と感じたら、上の二つが原因。


すべてを失ったとしても、まだ未来が残っている。

今がどんなに最悪でも、将来その苦しみが続くとは限らない。苦しみの原因が時間とともに自分から離れていくのだ。