とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

3系統目 百合のジャンルが持つ特異性特質性について

1系統 純文学作品に通ずる人間性のテーマ描写表現
2系統 恋愛漫画に通ずる、恋愛、同性愛、性的興奮、昂ぶりの描写表現
3系統 百合のジャンルが持つ特異性特質性。ジャンル好きの人に向けた描写表現



百合作品を、その面白さや読者の求めている事、技術体系等で大別するとこの3点になると思う。今回は3系統目の百合だから好きではなく、百合というジャンルが持つ特異性特質性ゆえに好きというジャンル好きについて分析し、どういう点がジャンル好きさせるのか、読者を惹きつけるか考えてみる。




◆ジャンル好きとはなにか。

例えば、タイムトラベルや宇宙の話は好き。でも、物理や宇宙には興味がない。そういう人のことをジャンル好きとここでは表現している。つまり、SFの科学的なところや物理が好きなのではなく、見た事もない世界観や人物がいる、広大さを感じる、失敗を帳消しにして成功した未来を目指す。そういったSFの本質そのものではなく、2次的な特徴性質に惹かれている人のことである。無自覚、有自覚かはさておき、そういう人はファンタジーの中でも同様の性質があれば好きだろうし、歴史スペクタクルも同様に好きかもしれない。





◆ジャンル好きが求めているであろう、百合の2次的特長性質。

では、百合というジャンルの女性同士の関係性という本質ではなく、百合というジャンルの二次的な性質的特徴とは何があるだろうか。




・反社会性、反体制的。ロック。
断っておくが、私は別に百合に価値判断を持ち込んではいない。ただ、一般的、王道、普通、大衆の考え等から逸脱し、周囲との対立・摩擦が描かれることが往々にある。そういった反社会性、反体制的な面に共感・惹かれている人もいるだろう。




・背徳性、秘密の関係、イケナイ関係
背徳的な行いに興奮を覚える人がいる。同様に、秘密の関係、イケナイとわかっているからこそ興奮する性質の人がいる。女性同士、人妻百合、周囲(他の友人)には内緒など。




・排他性、特別な二人
あなただけいればいい。私にとっての貴女だけでいて欲しい。そういった恋愛価値観があるように、周囲から逸脱し、特別・特殊な二人に陥って排他性で退廃的な関係性に興味関心を惹かれる人は居るだろう。




・マイナー趣味を好きな自分が好き
上とも関連するが、他人とは違う・変わっている自分が好き。格好いい。そういうファッション的な興味関心で惹かれている人も居るだろう。




・ハードルの高い、困難な恋愛とその成就
恋愛漫画を好きな人の延長で惹かれる人もいるだろう。女性同士という本人同士の問題、周囲の理解という周囲との軋轢、将来・未来への不安を常に抱えてるなど、通常の恋愛以上にハードルが高いので、その困難さ過酷さに通常の恋愛より興奮期待するものがあるのだろう。





・同性愛への共感作用
同性愛の人、同性愛を意識している人、そういうどこか自分と重なる恋愛要素を求めている人には、参考、共感関心を買う場合があるだろう。





女性不信、著しい自己評価の低下、自己欺瞞
女性同士の世界、女性同士ゆえの美しさを視たいのではなく、女性不信からくる女性の理想化神格化を期待する心理。あるいは、自己(男)の性的魅力への劣等感からくる男女の恋愛からの逃避、そして逃避を正当化するために百合を肯定し、自己の防衛機制・合理化として使う心理。視ることで満足するという自己欺瞞の心理。それらの副産物としての百合好き。







◆おわりに

百合の本質を磨き上げ、より良い作品を作ろうとするのが本筋だろう。ただし、無自覚有自覚かはさておき、こういった二次的な心理期待で、百合をただのジャンルとして好きな人は居るだろうため、こういった点を意識して読者に興味関心を持たれるポイントを増やすのはありかもしれない。



特に、背徳性の追及、恋愛の困難化のあたりは、漫画として展開のメリハリ、浮き沈みができ、その先を読みたくなる期待効果が高いと思われる。また、自作品にプラスαしやすい要素、性質でもあるし、取り入れて損はないかもしれない。

百合作品の美しさには漫画的面白さも重要。逆に徹底的に引き算した美しさも考察検討

◆はじめに

本当ならば、百合という概念単体の美しさの肯定、賛歌をしたい。その本質的な部分だけで感動したいし、できるはずだと思う。しかし、人の心を動かすには、思い入れ(感情移入)が必要であり、百合の一枚絵よりも、それぞれの人物(キャラ)の紆余曲折を知り、描かれた結末・結果といった物語性のある方が、感動しやすいのは事実である。そして、ただキャラや展開の情報を箇条書きで知るのではなく、見せ方、つまり、漫画的あるいは小説的な面白さの表現技術も関わってくる。今回は、百合を最大限に魅せる、漫画的面白さの技術についてアレコレ考えてみるのと、逆に漫画的面白さを徹底的に排除した不純物0で、百合を味わう事はできるのかも考察してみる。





ガレット No.3

ガレット No.3



↑本記事と直接関連しないですが、意欲的取り組みの百合雑誌紹介です。アマゾンやらのネット専売?の販路限定に注意。






恋愛漫画要素や純文学要素が重要なのは、自明といえば自明。

そもそも百合とは何か、百合はどこに存在するのかといえば、ある人物の人間性、ある人間との人間との関係性、ある人間と人間の間におきた出来事の推移結果の中に存在する。なので、百合を描く、百合を魅せるとなると、そういった人間模様を描く恋愛漫画や、人間性に突っ込んでいく純文学作品と本質的には同質である。あとは、作品(物語)というより、ある設定や状況(フェチズム)特化の、エロマンガの読み切り短編とも、共通する部分はあるだろう。つまり、これまで培われてきた沢山の漫画小説の技術体系を参考にできるところは多く、最高の百合漫画を作るために、百合漫画のために必要で該当する技術部分は、積極的に取り入れて損はない。







◆百合漫画のために必要で該当する技術部分とは、やはり人間模様・機微を描く作品

人によって百合の定義は様々だろうが、概ね以下の辺りだろう。耽美主義、同性愛賛美、娯楽性の3点のその人のパラメーター次第とも言える。


1、恋愛感情と明確にはいえない女性同士の、女性同士だからこその特別な結びつき。永遠性、女性の美しい身体同士の絡み。
2、女の子同士での恋愛感情や、好き!をガッツリ描かれたもの。リアルな同性愛描写。
3、女性同士(同性愛)がテーマに含まれる為、他作品とは異なり、そこを含めた楽しさ、面白さ、興奮する、ワクワクする。泣けてくるの独自性面白さの魅力。


※3について補足。例えば、宇宙、時間移動など各作品におけるその設定だからこその魅力、独自性面白さや好みの話、私SF作品好き!でも別に宇宙の真理とか物理学は好きじゃないけど・・・。みたいな感じの楽しみ方と同一。ジャンル好き。



1系統の作品が好き、書きたいとなれば純文学作品技術を中心に、世の中のありとあらゆるところに特別な関係性の描写があるので、参考にできる。
2系統の作品が好き、書きたいとなれば、恋愛漫画技術を取り入れまくり、世界一最高な恋愛を追及して描けばいい。2に加えて3のブレンドも強めなら、読み切りエロマンガの技術が参考になるだろう。昂ぶらせ方の検討というか。
3系統で作品を見ているとなると、百合ジャンルの他漫画との特殊性や際立ちを再認識し描く技術が必要となる。









とてつもなく長文になりそうなので、一回区切ります。後は各別記事で。

◆具体論 1系統、純文学作品技術の参考にする箇所や内容とは

↓クリックで飛びます。
製作中

◆具体論 2系統、恋愛漫画からみる恋愛模様を描く参考技術体系とは (エロマンガ技術体系もこちらに含む)

↓クリックで飛びます。
製作中

◆具体論 3系統、百合のジャンルとしての特異性、特質性とは

↓クリックで飛びます。
http://d.hatena.ne.jp/kito_yurianusu/20170816/1502881712




◆雑感・雑記

そろっと4桁の大台にいくのでは・・・と思うぐらい百合作品を堪能していますが、近場のBLを始め、その他多くのジャンル達から、大きく水を開けられていると思うときがあります。ジャンルとしての完成度・水準がまだまだ低いといいますか、もっとやれることはある!みたいなそんな感覚です。自分も書いてみましたが、まぁ、向いていないと思ったので、理論・理屈を考える研究方面で頑張り、その理論の応用実践は実務家の皆さんにお任せできればと思います。こんな記事でもなにか参考になれば幸いです。

サーフィンよりもスキムボードは難しすぎる。怪我も筋肉痛も段違い。1日目の体験談感想。

◆はじめに

そろっと1年目の、浮力高め初心者用、週末ショートボーダーです。まだ横には滑れないのですが、横に滑れない → うねりから立てていない → パドル速度筋力UP!で横に滑れそう!と次の課題を見つけ取り組んでいます。次の波がある休みが待ち遠しいです。



が、新潟の夏は波が来ない!でもせっかくの休日なので遊びたい!海で遊びたい。ということでサーフィンはできないけど、ちょっとした波でも遊べる”スキムボード”に挑戦(勢いで購入)してみました。もしかしたら、ウインドサーフィンとか、サーフィンできないときのために、様々なマリンレジャーに挑戦していくかもしれません。今回はスキムボードについてのあれこれをサーフィンと少し比較しながら、語ります。そもそもスキムボードってなんだ!?ってひとはぐぐって下さい。



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↑画像の木製の安いやつは、海というより薄く水が張ったフラットランドでスケボー風に遊ぶ奴です。色々種類があるので要確認を!




◆サーフィンよりも、”楽しめる”レベルになるまでが一苦労。

スポーツは楽しさを求めてやるわけですが、スキムボードの楽しさ難しさのハードルは半端じゃないです。端に難しいだけでなく、楽しさ面白さを味わうレベルまで、まず素人・初心者は辿り着けません。これがサーフィンなら、パドル駄目、テイクオフ駄目(板の上に立てない)であっても、足がつく砂浜で、海底を蹴って、板のうえに腹ばいになって、スープに押されながら、スイーといくだけでも十分気持ちいいです。(ボディボードみたいな遊び方。)



スキムボードを楽しめる最低条件
・砂浜(足がとられる場所)である程度速度を出して走れる(転ぶ恐怖に勝てる)
・走った状態から、片足で思い切りジャンプ!できる
・ジャンプした後、放り投げたボードに上手く飛び乗れる
・飛び乗った直後から、前後の体重移動管理ができる(失速しない・沈まない)




ファンボードのサーフィンスクール講習初日で、スープを使ったテイクオフを2回に1回ぐらいはできるようになったバランス感覚は中の上の方です。スキムボードへの飛び乗りも、同様に30分くらいで3回に1回は初日から乗れるようになりました。しかし、まぁハードルが高いです。”全速力”で飛び乗れていないので、2〜3M!も滑らず、一瞬で沈みます。ほんとに一瞬です。楽しいと思う暇もなし。スケートみたいな氷の上をつーーという気持ちよさ、サーフィンのようなザァーと岸まで押されてすべっていく気持ちよさ、そういうイメージの期待とは、全く異なりました。そもそも楽しさを感じれるレベルまで先は遠そうです。






スキムボードと怪我と筋肉痛について (仕事への支障)

サーフィンよりも確実に怪我率が高いです。サーフィンはウェットスーツを着て、ブーツを履いてと、事前に装備品の十分な準備をしておけば、他者との接触を除いて、まず怪我はしないです。一方、スキムボードは、装備をしてもいろいろキマシタ。



スキムボードの怖い怪我
○足首の捻挫 上手くボードに乗れず落ちたとき、片足から着水し力がかかる。
○ボード運搬、放り投げによる利き腕の筋肉痛
○利き足(踏み込み足)の筋肉痛
○擦り傷



失敗すると、海へ倒れこむ(転ぶ)ことになります。海底の砂や石での擦り傷対策にラッシュガードやレギンスはなれないうちは必須だと思います。全速力の5、6割とおっかなびっくり抑え気味にやっていましたが、2,3回、捻挫しそうになりました。転ぶときに無意識に足をまずつこうとして、足首にすべての力が掛かることに加えて、海底の砂が平ら_でなく/な風に角度がついている場所に着地と、条件が重なると、気をつけていても捻挫しそうです。あとは筋肉痛ですね。これはスポーツ全般の話でしょうか。





◆終わりに

・サーフィンの練習ができるほど波がない日でも、遊べる!
・いずれエアーや、トップの技ができるようになれば、サーフィンも上達するかも?
・砂浜ダッシュの走る息切れ、程よい疲労感、気持ちよさ。
・下半身強化、社会人になってから普段走らない、ジャンプしないので、健康的!
・夏はラッシュガードでいいとして、春〜秋は全身ぴちぴちのウェットスーツを着て全力ダッシュなんてできるのだろうか・・・。
・仕事に支障がでるとしゃれにならないので捻挫怖い!
・来週も波がなければ、スキムしにいこう。事前準備に今週は走りこみを追加っと。




と一日目が終わり、そんな心境です。今のところ楽しいというより、サーフィンの上達に繋がるかも。健康的な下半身強化だ。といった関連目的がモチベーションになってます。まぁできないことができるようになるのは楽しいので、コツコツやっていこうと思います。繰り返しますが、はっきりいって興味本位でやる95%近い人は、間違いなく挫折すると思います。それぐらい人を選ぶスポーツでしょう。スクールとかでコツや指導を受けながらなら、90%ぐらいにはなるかもという印象です。スキムボードは難しすぎる。

虚実入り混じった物語の効果。

リメインダラー、帰ってきたヒトラーと虚実入り混じった物語にふれて、少し考えさせられた事について考えてみる。




◆虚実入り混じった作品の魅力や狙い

虚実が入り混じるとは、真実が特定されないこと、二つの反する事実が同時に成立するような不安定な状態に晒される事。正しさがなくなり、混沌とすること。裏の裏の裏のように入れ子、あるいは合わせ鏡のように無限に続いていくように思えることである。



虚実入り混じった作品というのは、上述のような特徴を持ち、端的に言えば、読み手をもやもやとさせ苛だたせる。わからない、隠されていて、先が見えないのだ。とりわけ、研究者肌や好奇心、探究心の強い人ほど掠め取られ、その構造に期待するのだ。安定と決着を求めて。



正確に言えば、すべての作品は同様の性質を持つ。先の展開が読めない。予想できない。予想外の出来事・・・。しかし、虚実入り混じった作品のもたらす効果は、それらとは一味も二味も異なる。決着がついたように見えても、これまで散々とウソにさらされてきた読み手にとっては、またもしかしたら・・・?と疑惑をそこに抱かされ、永遠の迷路に閉じ込められるのだ。


ばかばかしいとおもう人は、その永遠2次元迷路を、最初から見向きもしない。あるいは、中に取り込まれても、ひょいと飛び上がって現実世界に戻り、つまらないと悪態をつく。しかし、永遠の迷路。永遠が持つ不可思議性、幻想性、探究心。不安定と安定。もしかしたら答えが眠っているかもしれない、自分だけには解けるかもしれない。そういう人はその迷路をさまよい、さまよう事に喜び、さまよっている人同士で語り合う。ばかばかしい作品をひとをくった作品ともいうが、まさに、作品が”人を食って”取り込む。ばかばかしいとは紙一重のものなのかもしれない。





◆虚実入り混じりの方法

1、セミドキュメンタリーや、ノンフィクション風フィクション
例)帰ってきたヒトラー、放送禁止、ブレアウィッチプロジェクト。盗撮風AVとか。
物語、作品に確固として存在する作り物と現実の境界線。それを曖昧にする事で、リアルなことのように見せる。出演者自身にカメラを持たせて撮影している演出。手ブレしたり、画質を落とす、通常の目線と同じ絵面。カメラがあることを出演者が意識している。等





2、劇中劇、作品内作品、体験治療
作品内の真実と虚実を曖昧にする事で、作品内の真実や結末を留保・ブレさせる。殺人事件があったようにみえていたとしても、壮大な舞台の1つだった。実際は死んでいない。登場人物らが映画作りなどを行い、現実の1シーンなのかその映画内のワンシーンの映像なのかわからなくさせる。あるいは、病気の患者の治療という名目で、彼ら彼女らの突飛な振る舞いに、その場はあわせているが、彼ら彼女が居ないときとは全く別の言動をする。視聴者はそれで混乱する。





3、視点誤認、叙述トリック、白昼夢(妄想が見えてしまう)
2の方法とやり口は同一。ただ、2は嘘を成立させるための舞台状況作りにおいて、周りに協力させる合理的理由のある点が特徴。一方3は、ご都合主義というか、作り側の身勝手な挿入がどこまでも許される点が特徴。急に数年前の映像や状況に場面転換し、過去と今を誤認させたり、全然別の私を同じ主人公だと思って読ませたり。イカレタ主人公は、妄想空想を現実のようにみえてしまうとしたり。2と比べて3の方が自由度が高く使いやすい。しかし、嘘虚の使われ方の合理性やルール(法則性)がないと、最後に読者の納得を得がたい。ミステリであるなら、尚更、ルールを明確に遵守し、ルールが推察できるような材料も提示しなければならない。





4、手加減、ウソ、本音を言わない。
極個人的な方法。ありとあらゆる物語で一番簡単に用いられる結末の留保・ブレ。手加減していたから、本気をだすといい勝負になる。好きではないとウソをついたのが、偶然立ち聞きされてしまう。本当のことをいわない誤解や勘違いで、事態はねじれていったり。嘘虚ではあるが、これらはすぐにばれる、あるいは読者にはばらされていて、物語のクライマックス(頂上)へと、ジグザグに上る程度のものだろう。






◆おわりに

難解なものを高尚なものだと思う。考えさせられるものを高尚だと思う。考察することが楽しい。人間にとってそういう感情は確かにあるが、それらは楽しみ方の1つであって、万人に受け入れられるものではないとは思う。むしろ少数派だろう。でも、そういう楽しみもあるにはあるわけで、そういう視点・要素を意識した作品作りもアリかもしれない。



ちなみに、リメインダラーはドグラマグラの丸被りでした。構造やオチや、展開のすべて。あれで衝撃を受けた人は、その感動をドグラマグラ(過去に同じテーマを扱った作品)の方に、あげてほしいですね。帰ってきたヒトラーは、予告CMよりチープ、B級映画テイストがやばかった。それだけで投げ出したくなるくらい・・・。まぁ慣れてきたら、違った面白さを発見でき最後まで見れました。

アニメ 魔法少女育成計画 ネタバレ感想。つっまらないデスゲーム作品へのツッコミ

◆はじめに

百合風味小説として原作の名前を知っていて、今回のアニメ化でこれ幸い手軽に見れると視聴しました。が、まぁつまらなかった。色々とツッコミしていこうと思います。尚、百合部分に関しては、ガルパン恋姫無双(アニメ)レベルでしょうか。複数登場する女の子の1ペアがガチ百合。他は、百合っぽいペアもいる位。微々百合アニメです。

魔法少女育成計画 (このライトノベルがすごい! 文庫)

魔法少女育成計画 (このライトノベルがすごい! 文庫)







魔法少女育成計画の概要

ある街で魔法少女16名が、人助け(キャンディ集め)をしていた折、魔法の国の使い魔から、人数を減らすような指示があり、その後も使い魔からのテコ入れで、結果的に魔法少女同士で生存のイズをかけた殺し合いへと発展していくという本作。ざっくりいえば、魔法少女が参加者のデスゲームもの。殺し合いには魔法も使うよ♪という能力バトルモノでもある。



◆色々なツッコミ

・全ライバル(全対戦相手の)死にたくない理由、勝ちたい理由が一部を除いてぱっとしない。で、結局殺人鬼やサイコな人が殺戮しまくる役回りに・・・。

デスゲームものといっても、各キャラの戦う理由、そのためなら相手を殺しても仕方ない理由の動機に感情移入できないと、淡々とモブキャラが死ぬだけなのと一緒でなにも感じないんですよね。例えば、洋画で爆発がおきて巻き込まれて死んだなぁって人を見るのと一緒で、だからどうしたと流しちゃうようなもん。ライアゲームとかみたいに動機がお金だぅたり、今回みたいに生き残りたいでも、何でもいいんですけど。だから戦う。殺す。にいきなり飛ぶのは一足飛びで思いいれできなかった。例えば、月見月理解の殺人なんたらみたいに、各人のどうしても死ぬ前に知りたい真実にするとか。ゲームだと思って既に人を殺しちゃったから、平気になったとか。もう一ひねり欲しかった。




・知力あるいは能力バトルものとして、相性の問題、対戦の駆け引き、意外な攻略法などがほぼまったくない。死ぬべくして死ぬ・・・。


不死の魔法少女を、変身できない状況で殺すとか。スイムスイムを、爆弾で倒すとか。スノウホワイトの困った人の声を聞く能力が転じて、相手の嫌な事を徹底的にやれる攻撃的能力に化けたりとか。まぁそれっぽいのも能力バトル感もありましたけど、もっとルールの盲点をついたり普通に読んでたら気づかない読者の想像の上を行く展開があってほしかった。例えば、うその能力を伝えていて、過小評価させていたけど、真の能力がやばすぎる敵とかでも倒せる展開。後は、能力のクールタイムとか、観察で弱点を発見するとか。使い方次第でまったく異なる能力の見せ方だったり・・・。



・中学生でも魔法少女は、ちょっと際どいのに、人妻の飲んだくれとか、家事手伝いの20代ニート魔法少女とか痛すぎる。


個人的偏見かもですけど、年齢が高すぎる人はちょっと・・・。キャラデザのおかげでなんとかみれる範囲になってましたけど・・・。それにいい年こいて、今の生活がある人が魔法少女なんてものになりたがらないと思う・・・。



・人材育成して引き抜こう計画はいいとして、1人にまで絞り込む必要性がよくわからない。最後の一人はマスターと魔法少女を選択できる?端末が壊れた影響は?運営(黒幕)の意図やしたいことと、今回のデスゲームが整合性合理性が薄い。


デスゲームやゲーム系の黒幕の目的や暗躍って大事だと思います。まどまぎで、QBがインキュベーターの略だったとか、人類の生まれる前から色々世話してきた今回もいつものことのはずがまどかとほむらのイレギュラーがおきたとか。筋が通っていると理解できる一方。魔法少女育成計画では何がしたかったのか、理解不能。何故一人選抜なの?何故別の世界から人を集めようとするの?マスターとかで次の試練のための人材にする意味あんの?(実際候補者全滅させたパターンもあるみたいだし)魔力の強さ弱さ、能力の性質もあるんだから、その辺で選別できないの?殺し合いと記憶を奪うだけをなんで簡単に変えられるの?絶望した魔法少女がやけになって現実世界でテロやらなにやら破壊活動しないの?運営の目的と目的に合致した行動をとってるかは、そこそこ重要だとおもう。ただ、上述の能力バトルとか、各キャラへの感情移入とか、各シーンの盛り上がりがもっとあれば、ここまで細かいところは気にならなかったと思う。


◆終わりに

デスゲームは、人がバンバン死ぬことでグロさやシリアス、インパクトが増して、普通の作品よりも人の注目を集めやすい性質はあると思う。ただし、スポーツで戦うスポーツ漫画やらと本質はなんら変わりなく、結局は、ライバルや相手にも感情移入できる魅力(目的や戦い方や生き様)が必要なこと、そしてその強そうなライバルにどうやって、そしていかに派手に格好良く勝つのかとやってることは一緒である。


ただ、謎の組織、黒幕、運営の思惑。この辺りは、スポーツ漫画にはない要素だが、もう少しや視野を広げれば、上層部や上の狙いと、それを知らないで建前の指令で動かされる現場とかの構図も良く見るわけで。運営と目の前の敵という2つの敵を相手に戦うみたいな葛藤・構図の面白さも大事だなぁと。


最後に一言。家の前で困っている女の子に、家の前付近で落としたであろう鍵を拾って渡してあげれば、主人公を命がけで守ってくれる魔法少女ガールが手に入るそうな。そんなちょろい奴がどこにいんだよ!まぁ、微妙に主人公と百合してくれて嬉しかったですけど・・・。

ネタバレ! メルカトルかく語りきについての感想と答えのない絵本の真犯人考察

◆はじめに

貴族探偵のテレビドラマ化で、これまで麻耶先生の作品を読んでなかったことに気づき、今更ながら読み始めています。神様ゲームやあぶない叔父さんを読んで、アンチミステリを書くミステリ作家の噂通りだと痛感させられました。一線を越えているアンチミステリ作品(もはやミステリではない!フェアではない!)もありながら、魅力も感じているので読み続けています。さて、今回読んだメルカトルかく語りきについての全体感想と、その中で他殺なのに論理的には犯人がいないという結論でしめくくられた1短編について考察検討してみようと思います。




◆全編の紹介とさっくり感想

全短編、アンチミステリ作品です。特にフーダニット、犯人は誰か?のミステリ構造に疑問や提言やつばをはきかけるような短編集です。笑 私はメルカトルシリーズは翼ある闇読んで、次にこれにきたので探偵メルカトルのことはよくわかっていなかったようです。



死人を起こす
→ 犯人は、死んだ人間。確実にその時死んだ彼が今回の犯人。


正統派ミステリの視点からみると、片手落ちな作品にみえる。なんでそのタイミングで、特殊性癖を持ち、人気がある家に侵入し、二階に上って、寝てる男を、鉄パイプで撲殺して、凶器を捨てて逃走する。そんな人間が現れるんだと。ご都合的で非合理非論理な犯人にしか思えない。アイディアを思いついても誰もやろうとはしない類の作品。ただ、物語としてみれば、死んだ人間と今をリンクさせたり、話し運びは面白かった。





九州旅行
→ 犯人はだれかわからない、最後の一文だけ登場した男が犯人。


本作も1本目同様に、片手落ちな作品にみえる。通常の作品がそうであるように、意外な真犯人を描写する伏線や、存在を示唆する痕跡の何かを描いて、意外な犯人とマジックがキャップをしていた痕跡の意味を推理して結びつけ、謎を解決する。それでよいのに、通常ミステリから、犯人の存在を描く事をなぜか引き算しただけに思えた。





収束
→ 犯人は3人のうちだれか。痕跡や経緯で3人までは絞り込めるが、次の被害者が誰かで犯人がわかる。


今夜の殺人の被害者が誰かわからないと、犯人がわからない(被害者がわかれば犯人が導ける)。パズルのピースが1つ欠けているせいで、殺人を看過するという状況は面白かった。いや、待ち伏せして捕まえるとか、そこまでわかってるなら何かやりようがあるだろとつっこみたい気持ちはありましたけどね。これも正統派視点でみれば、犯人を導くすべての情報が出揃うまでは人が死に続けるのが本来なので、連続殺人を解決する途中を切り取っただけの片手落ち感はやはりある。






答えのない絵本
→ 犯人はいない! 他殺死体なのに論理的には犯人はいないことになってしまう・・・。


(後述。)



密室荘
→ 犯人というか事件そのものが不条理。非論理。犯人どころか事件もなにもなかったことに。


これはもうバカミス(おふざけのミステリ)。外部の者が入れない密室に突然人(死体)が現れた。鍵には細工なく機能していたとなると、死体は本来ありえない存在。だから、死体を埋めて事件をなかったことにする本作。ありえないものを認めたら、おかしなことになるとそういう理屈。机上の空論、風が吹けば桶屋がなんとやら。言葉の上では、ありえないものが出てきたり、間違った答え結論を出してしまうのはわかるのだが、それを実際に観測した死体を前にしても言い放つあたりが凄い。本来ならば、観測した事実の方が重んじられ、事実を説明証明できないなら、仮定や前提のロジックに誤りがあるとするべきなのに、そうはならない。メルカトルのロジック至上は突き抜けているというエピソードトーク。笑






◆答えのない絵本の詳細検討。正しい推理?考察検討。

では、本題。問題の短編第4編目について考察検討を行う。


テーマ:本当の犯人は誰か。
サブテーマ:メルカトルの犯人はいないというおかしな論理が成立したのは何故か。


他殺体なのだし、死んだ後も叩かれているし、誰かが殺したのは間違いない。そして容疑者はその時校舎の一角にいた生徒ら。しかし、メルカトルの推理(論理)では犯人は存在しえないことになってしまう。このおかしさを改善したい。どこでなにが間違えられたのか。痕跡を見逃した可能性、偽物の痕跡の可能性がまず思いつくが、それをいい始めると後期クイーン的問題に抵触し、水掛け論になるので、そういった反論は極力注意する。


メルカトルの推理と論理や、それらを導いた痕跡の確認とツッコミ

○容疑者は事件当時現場付近にいた20人の生徒。
(現場は最上階4階。通常階段には監視カメラ、非常階段には内側から鍵とテニス部員の目撃証言によって出てきたものはいないとのこと。)



階段以外での出入りの可能性 窓から下の階へ飛び降りる。上る
テニス部員の見落とし
監視カメラの映像への精巧な加工
とツッコミたいが、後クイ問題なのでこれらはスルー。




○メルカトルによる犯人の動機や行動の推理
理科準備室に被害者は不在だと思って、物理テストのカンニングをはかろうとする。施錠されていない理科室よりピッキングで理科準備室へ侵入。しかし、思いがけずに被害者がいたため、慌てて灰皿で撲殺してしまう。





条件1:4時20分から始まる校内放送を聴けた人物で、かつ被害者が廊下を歩いて職員室へ向かうところを確認できない3組か4組にいた人物。※2組4組準備室は放送が地震の影響で最初から聞こえない状態。


校内放送を聞き逃しても、会話の話題で放送の事実を知りその時動き始めた可能性はある。
1組2組にいたとしても、犯人なりの確認方法が誤っていた可能性。不在と思ってしまった。



条件2:起動に20分かかるスクリーンセイバーが死体発見時起動していた。犯行は4時40分より前におこなわれた。つまり1,2回目の校内放送を聴けなかった2組4組にいた人物は除外。


上述の会話の話題説の通り




条件3:被害者はアニメを見ていてTVの音が部屋の傍にいけば聞こえた。犯人が中に誰も居ないと思ったということは、音が聞こえなかったということだから、アニメが終わった30分以降に犯行がおこなわれた。つまり、30分の放送が流れたとき3組にいた人物。30分の放送を聴いて行動開始した。


犯人なりの確認方法が誤っていた可能性。不在と思ってしまった。例えばアニメは録画のために流しっぱなしとか、耳が人より悪くテレビの音をそもそも感じ取れなかった等。
ちょい、後クイ問題っぽい指摘・・・。汗



条件4:条件1〜3に該当する人物の、事件時のアリバイの有無


条件5:犯人が校内放送を2度聞いているならば、被害者の居眠りを疑い、慎重に確認をおこなったはず。容疑者二人とも、2回放送を聞いているのだから、安易な侵入はしないはず。つまり、どちらも犯人ではない。犯人はいない。

犯人にとっちゃそんなの関係ねぇ!と確認せずに強行した。
犯人なりの確認方法が誤っていた可能性


メモ:現場図p225、各人行動図p276





◆ツッコミのおさらいと再捜査

犯人がいないに対する一番安易な解決は、最後に残った二人のどちらかが慎重にならずに行動を起こしたからだである。一番緩い条件5を偽にするのである。まぁそれも1つの正解として、それとは別に、他の見落としの可能性、他の推理の可能性がないか検討してみる。出来る限り後クイ問題な指摘には注意する。



事実
・犯行時刻は、スクリーンセイバーの起動から、5時発見の最低20分以上前、4時から4時40分の間。
・4時から30分までのTVアニメの音で、中に人がいることは予想できる状態だった。
・犯人の目的は物理のテスト問題であったこと
ピッキングで侵入したことより、先生の不在を狙ったこと
・犯人が何らかの方法で不在を狙う&確認して行動に移したこと。おそらく校内放送。
・火がついたままのタバコが事件当時にあったことより、中に居た先生と侵入した生徒が鉢合わせた事(通常生徒が訪問したときは先生は火を消す。)
・現場にあった灰皿で殴打といった犯行は衝動的であったが、指紋をふき取る、ピッキングで施錠して出て行くなど事件後には冷静さも残していること
さて、こうして俯瞰してみると、犯人がいないとするこの事件は大きく分けて2つの仮設で突破できそうに考えられる。



仮設1。先生がアニメを見ていなかった。あるいは侵入者がアニメの音を認識できなかった誤解した。(不在だと思った。)ということで、条件3を覆し、犯行時刻の幅を4時20分から4時40分までと伸ばすことができる。




仮説2。アニメの通常の放映時間は、話が終わったところで視聴を止めれば23分〜25分である。かつ、校内放送を聴いた直後ではなく又聞きで校内放送についてその時知った人間が動き出したとすれば、稼いだ約6分と動き始めのズレを解消し仮説1同様に伸びた犯行時間の幅で、突破でkるかもしれない。




仮説(無謀)。1と2で突破できなかった場合、最後のトンデモ仮説があるにはある。犯人の目的はテストの盗み見ではなく、また、校内放送やアニメなど関係なく、放課後に今日!忍び込むとだけ決めていたというパターンである。犯人が、不覚にも被害者の不在確認だけ誤り、侵入して殺害してしまったという仮説。作品内に他の動機や、先生の不在誤認など、そんな痕跡伏線は見つけられないだろうと思うので、無謀な仮説だが、一番犯人候補の枠を広く取れるので、ここまで広げれば犯人はみつけられるかも・・・。




◆仮説1と2をあわせて検証検討。

1と2の仮説が成立するか吟味する前に、そもそも1と2の仮説が成立したとして、犯人候補は増えるのだろうか?犯人はいるのだろうかを確認してみる。いずれにせよ、1と2の仮説とも20分から、あるいは20分ちょい過ぎから犯行が出来た人物となる。


確認になるが
新条件1、又聞きの可能性があるので放送の流れていない教室も含める。(2組4組の人間もありうる。但し、旧条件1の被害者の確認問題はどう処理するか残る。)
新条件2、20分からアリバイがない人物も含める 但し、30分からアリバイがあるかも確認。



20分〜   30分〜
       ◎稲葉(1)
△宇和(1)
△越前(1)
◎鳳 (1)
       △紀伊(2)
草津(2)
       △玄海(2)
△水郷(3)
       △信濃(3)
◎瀬戸(3)
△宗谷(3)
       △鳥海(4)
◎翼 (4)
△出羽(4)
△土佐(4)



再構成した犯人候補は上記の通り。◎は、その時間と次の時間まで一人行動でアリバイが不確か。△は、その時間はアリバイ不確かだが次の時間は複数行動(アリバイあり)一応、旧推理は、信濃、鳳のどちらかで、最終的には犯人はいないとしめくくられている。



さて、ではこの犯人候補をどう絞り込めるだろうか。いくつか条件の候補はある。
・被害者の存在有無の確認ができなかったから鉢合わせした=1組と2組にいない人物。
・アリバイ。十数分間(不確かから複数行動に切り替わった正確な経過時間は不明)にあるいはもっと短い間に、教室移動、開錠施錠、殺害、指紋ふき取りなどまでは厳しい。20分間アリバイが不確かな人物ではないか。



意外に二人に絞り込めたではないか!!瀬戸と翼が犯人候補だ。瀬戸が犯人だとすれば、20分の放送を聞いて犯行に動き出す。しかし理科室から準備室へピッキングをしようとしたところ、準備室からアニメの音が聞こえてきて何故かまだ被害者は室内にいることを知る。(あるいは、理科準備室前の廊下を通り過ぎた時点で、まだ室内にいる事に気づく。)しかし、瀬戸はこう思っただろう。あのアニメオタクはもう少しで終わるところだから、呼び出しを無視してアニメを見ているのだろうと。逆に外出直後に侵入できるチャンスだと!さて、何も知らない被害者は本編が終わった20数分でもういいやとテレビを消す。それを受けて、瀬戸はもうでていくところだと勘違いして、少し待って後、侵入を・・・。


4組にいた翼犯行説もありえる。校内放送を知っていて4組に向かった越前みすずか水郷しのぶのどちらかから直接話題を振られたか、あるいは友達への雑談を盗み聞きしたかで、校内放送に関する情報を知り犯行に動き出す。あとは瀬戸と同様の流れだ。ただ、翼説のほうが蓋然性は少ない。第一に、校内放送の又聞きになるため、動き出しが遅くなり時間的猶予がなくなること。第二に、友人同士の会話で具体的な時間を伴った表現は少ないこと。さっき、ちょっと前に、ほんの前の放送で、20分頃の放送で。そういう不正確な情報で動き出すのは、犯人にとっては勇気がいる事だろう。



◆瀬戸 真犯人説。

論理的に完全に絞り込めてはいないことは認める。しかし、犯人はいないという自分で編み出した論理に縛られて導かれたおかしなメルカトルの答えよりは現実性や妥当性が在るように思う。それは瀬戸真犯人説だ。



瀬戸の事件当時の行動は上述の通りである。ここでポイントになるのは、メルカトルは瀬戸(犯人)が理科室内で待機していた可能性を潰していないことである。メルカトルの言う通り、アニメの音が聞こえていた中で侵入しようとはしないのは明白だ。人気がある中に飛び込んでいくものとりはいない。しかし、校内放送を知り、目標が出て行くことを知っていた場合なら話は異なる。むしろじっと息を潜めて外出を確認してから安心して、侵入しようと待ち伏せるだろう。帰ってくるまでの時間が最大になる一番良いタイミングなのだ。



さて、さらにこの解釈は旧条件5も上手く解決してくれる。旧条件5では、2回放送を聴いてしまったら、居眠りのことを思って安易な侵入はできない。つまり、被害者が不在かどうか、慎重に犯人は確認をするだろうという論理だ。つまり言い換えるなら、廊下を歩いて外出する被害者を確認できない中で、むしろ犯人は、何を根拠に不在だと確信し行動に移せたのだろうか。これこそ、”アニメの音が消えたこと”&、立ち上がる音等の動作音と消音(おそらくタバコの一服による無音)が続いたせいで、”不在になった”と思いこんでしまったのではないか。



もし犯人が30分から行動を起こしたのだとすれば、確実に30分にはアニメの音は消えているので、不在か有在か判断がつかずに、なぜ実行を決断できたのかが不可解である。被害者が独り言や、タイプの音が凄くうるさいなど、部屋の外にも筒ぬけの音でもだす癖でもあるなら、話は別だが・・・。ただし、本編そんな癖が語られていないところを見るに、そういう癖はない。つまり、上述の理由で犯人が誤解したというのがスマートではなかろうか。



更に、翼よりも瀬戸が怪しいという理由は、犯人の気持ちにたった場合の嘘アリバイの証言の仕方である。すべての時間に一人でいる。誰とも合流したり、複数行動にならないのに他のクラスに移動する翼の行動は不審であるし、アリバイがなさすぎる。しかし、本当に犯人なら、次のような嘘をつくはずである。



1、自分のクラスから理科室へ向かうところを見られているかもしれない、覚えられているかもしれないのでそれを踏まえた嘘。つまり、3組や4組にいる人間は1組や2組にむかったと嘘をつきたい。


2、犯行後に帰ってくる姿を見られているかもしれない、覚えられているかもしれないからそれを踏まえた嘘。つまり、3組や4組にもどったならそちらへ向かったと嘘をつきたい。


3、どこそこにいたと言うと、そのクラスにいた人間にお前は居なかった!といわれる可能性があるので、トイレや階段の傍にいたなど曖昧な時間を作ろうとする。



こういう犯人の心理から考えると、今回は3が重要であり。その時そのクラスに誰が居たかとか、こんな記憶に残る出来事があったとか、質問されて答えられなかったら即アウトである。つまり、瀬戸のように出来る限りトイレなどぼかそうとするはずである。また、今回は位置的にもトイレは、犯行後から帰ってくるタイミングと誤解させることもでき、帰ってくる姿を覚えられていても、トイレからの帰りだといい逃れる事もできる。翼が犯人だとすると、どこまで警察が絞り込んでいるのかわからない状況で、3のリスクをムダに増やすだけのうその証言をする意味はない。よって、真犯人は瀬戸である。以上。

(ネタバレ書評) ドグラマグラはアンチミステリに大してあらず。

◆はじめに

改めてアンチミステリについて考えてみようと思い、ドグラマグラを筆頭にアンチミステリ的なミステリ小説をいくらか読み始めている。さて、ただドグラマグラは大したアンチミステリ作品ではないと思ったので、それについて書くことにする。

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)





◆アンチミステリとは何か

アンチミステリとは、通念的なミステリの枠組みや基本的構造に反し、展開構築されたミステリである。簡単に言うなら、従来のミステリのありかたから逸脱する事で、ミステリのありかたに疑問を投げかけるもの。具体的には、”謎が解けないミステリ”だったり、”痕跡を信用できないミステリ” だったり、”真実真相が信用断定できないミステリ”だったり、ミステリとして当然だとされてきたものに対立矛盾を持ち込むことで、ミステリのあり方を見つめなおさせるのだ。



さて、それを作品という形でおこなう場合は、大きく2つのパターンに分けられる。その対立矛盾を指摘する作品か、対立矛盾を克服する作品か。言い換えるなら、疑問をなげうつのか、それを克服するのかとまぁその2択である。斬新奇抜なトリックとその作品名が語り継がれるように、アクロイド殺しやら、ドグラマグラやら、アンチミステリ作品として、語り継がれているものもある。



ドグラマグラは大したアンチミステリではない。

誤解を招いたかも知れないが、ドグラマグラの小説的価値ははかりしれず、(思春期の少年少女やごくごく研究肌の者はさておき、常人なら精神に異常などきたさないので、)一度は読んで欲しいと思う。ただし、アンチミステリの目的、目線でもって読んでも大した収穫はないと思う。ドグラマグラのアンチミステリ的な要素を挙げるなら、以下の通りである。



・信用できない語り手 → 精神異常者による夢うつつの描写が多く、虚実入り混じっている。
・真実真相がない → 真相や結末の披露がなく、いく通りもの解釈が可能な終わり方。



信用できない語り手。この手法をミステリとして許容できる用い方もあるだろう。結局のところ、本文の情報の真偽を特定でき、その情報を推理や事実の判断材料に使えるように書き分ければいいのだから。しかし、本作では、その真偽を特定することは決して出来ない。語り手が精神異常であり、時間感覚もあてにならず、現実と夢の光景を同時にみてしまう、他の人の発言すらも空想夢想の幻聴かもしれない。てんでめちゃくちゃである。



他方、真実真相がないというのも厄介である。本作では、神異常者の自己完結で終わり、それをミステリ的な論理的な真相とは結論づけられないし、また上述の通り、本文を読み返して紡ぎなおせば、真相がみつけられるかと思うも、それも叶わない。これが、事件の骨格と実行犯は理解できたが、実は彼や彼女が暗躍しており、すべての事件の裏で糸を引いたり誘導したのは彼彼女かもしれないぐらいならば、後味と気味悪さを仄めかかわいいものだが。



アンチミステリとしてみれば、この2つの対立矛盾は既に幾重にも洗練され取り入れられることもある手法である。まぁ、その草分け的な価値というものもあるかもしれないが、情報がめちゃくちゃ、真実がない。いってしまえばそれだけの原石も原石というか、思いついても、そんなもの誰もミステリとしては書かない、かけないレベルのものなので、これを読んでアンチミステリの理解が深まったり、なにかの契機になるとは思えない。





◆おわりに

『殺人事件がおきた。その中心人物は、今朝目を覚ました記憶喪失のアナタで、どうか記憶を思い出し、事件の謎を解いて欲しい』
と、そんなミステリ的な出だしではあるものの、別にミステリではないし、かろうじてアンチミステリなどに大別することはできても、上述のように、アンチミステリとしての意義や価値はそこまでない。



重複するが、小説的価値は計り知れない。あくまでミステリではないというだけである。偏見やこじつけ、飛躍が往々にして散見するが、それでも一応は筋の通った精神病理に関する作者独特の思想世界が展開されていて、そんな馬鹿なと心の奥底では思っていても、独特の文体やリズム、構成で、意識をからめられていく。ちょっと信じてもいいかもしれないと思わされてしまうし、読後、ことにつけこの作品の思想を思い返してしまうことは間違いないと思う。



平行世界、時間跳躍、剣と魔法の異世界、現在あふれかえってるそのワンパターン物語は王道として今後も続いてもらって構わないが、こういう各作者の深層心理思想やらがぎゅうぎゅうにつまったこじらせた作品も、ちょくちょく読みたいものである。