とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

説得・アドバイスに当たっての補足

1,3段階、愚痴段階、励まし段階(感情的解決)、問題解決(理性的解決)段階の三段階を意識する。
2,相手の認識をずらす励まし段階では、相手が知らない新しい情報を根拠・論拠にして結論を述べ、説得し意見を変える必要がある
3,意見を変えるための説得する、される人の距離感は、同位置ではなく近い尊敬者。

この従来の理論の付け足し。2,3について。
2,新しいだけの情報では根拠・論拠にはならない。
3,尊敬(信頼)する人というもののより詳細な検討

■2、新しいだけではダメ

或る本を読んでいたときに思った。其処では、偉人達人の本の具体例をだして、こうあるべきという説得を行っていたが、ちっとも心には響かなかった。新しいことだけではダメ。新しいことに加え、具体例・個別例ではなく論理的な正当性が必要である。統計的な情報を根拠にしなければならない。

ただ、この根拠の強さ・弱さは説得される内容による。自分の正しいと思う人間像や生き方については、かなりの確固たる根拠が必要。逆に、辛かったことを、そんなにつらくないと思わせるぐらいの説得なら、俺の友達にさ、もっと駄目な奴がいるよ。ぐらいの根拠で励ませる。(相手が愚痴の段階ならば、この表現は逆にアウトである。)



■3、尊敬というものについて

尊敬というのは、偉人達人というだけじゃ生まれない。尊敬というのは、自分の道・理想の先にいる人に憧れる感情であるということを発見した。その人になりたいと思うことだ。個別的な尊敬もあれば(性格はイヤだけど、この人のスポーツの技術は尊敬する。)その人物をみる総合的な尊敬もあるとは思う。ただ、近すぎるとライバル・競争者としての意識の方が強くなり相手に勝つために、相手を真似するだけではダメだと、説得を受け入れがたい。



さらに考えると、3の尊敬がある人の方が重要に思う。尊敬しない人に、統計などの確固たる根拠の説得をされても、いや、私は私だから。と反対される。その場合、根拠が脆弱だったという可能性もあるが、やはり尊敬の方が先に思える。こう考えると、親の言うことを聞く子供。聞かない子供というのは、そもそも親のようになりたくないと思われていると言うことになる。恐ろしい。