とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

友情と愛情  〜長く続く友情とは〜

さて、長く続く関係とは何であろう。永久の愛。永久の友情どちらもきいたことはあるが、今回はその友情について考えてみたい。出会いや別れの時期だから・・・・こんな事を考えてみる。まずは、愛と友情の違いについて言及し、その後、友情を長く維持させるには。という話を展開する。



■基本的な2つの人間関係。友情と愛について

社会人を見ていると、1つの長く続く関係として、愛(家族)があると思う。それは、特定の異性と長く一緒に居続けることである。逆に、友情関係の二人が長く一緒にいることはあまり聞かない。自分の両親なんかを見ていても思うが、学生時代からの友人や会社の同僚と休日に出かけたりせずに、二人で買い物にいったりする。年を取ると、友情より愛になるのだろうか。


さて、このような現実の状況は何故起こるのだろう。愛よりも長く続く友情があっても良いのではないだろうか。以下は、仮説(あてずっぽう)をいくつか
1,親しさよりも、愛の欲求や愛から得る充足が本能的に強いから。
2,社会通念や文化的な要因で、異性と居続けることが推奨されているから
3,友情の維持が難しいから
特に自分が押すのは3の説である。というのは、愛が友情を閉め出すというよりは、友情自体の問題に思えるからである。つまり、愛の強さ>友情の強さを説明するのではなく、友情ほぼ0の状況を説明する方が現実に合致すると思うからである。



■3,友情の維持に関しての振り返り

以前の書き込みで、友情(コミュニティ)は2つの要因で発生すると書いた。つまり、2つの要因で共通の話題が作られると考えた。
1,経験型(体験型)=同一の体験をする人同士
2,趣味型(興味) =似通った興味・関心をもっていること
例を挙げる。同じ授業を受けた人同士が、あの先生って実は・・・と当たり障りのない話題について話すのが1であり、逆に、さっきのマクロ経済学の理論は、〜〜に応用されているよね等と話すのが2番だろう。もうすこし定義を明確にすると、マクロ経済学という上位概念よりも、それを掘り下げて個人的な下位概念を話題に出すことだろうか。



■友情の維持について、特異点の存在?絶対量の問題。

大学の1〜4年間の自分の友情関係の変化を振り返ってみた。結論から言えば、或る程度の絶対的な会話量が必要であり、その特異点?を下回ると、趣味型の話題が出現しないということ。よって、急速に友情が廃れると考えた。



●2〜3年に移行した歳の(取っている授業が異なる時期)疎遠時期
●4年実卒業前の春休みの疎遠時期(就職が皆決まり自由な時間)
この2つの時期に友情の上がり下がりを感じた。
【最近どんなことを好きでしているか。】この会話が、或る程度の時間や接触の絶対量がないと共有できないのかもしれない。共通の趣味をもっている友人ということで、体験・経験を共有せずとも、卒業後も交遊が続くだろうと思っていたが、ソレは難しいのと認識を改めた。ただ、例えばmixiで近況報告を怠らない者同士が偶然会ったなら、上手くいくと思う。この絶対量という問題は、近況報告を何らかの手段で代用することで解決できるとは思う。また、相手の趣味の軸を明確にしておくということでも解決できる。アニメ趣味の人が友人なら、最新アニメを自分も観ていれば、1の共通経験をそういう形でも達成できるからだ。




■友情の維持について、興味の複雑化仮説?

上では、もっぱら近況報告が出来ないほどの接触時間になると、趣味型の話題すらもはなせなくなり、急激に衰退するということを話した。だから、近況報告をすることで、趣味(興味関心)を公開(共有)しつづけましょうという意味を込めて書いた。ただ、もう1つの維持に関わる要因として趣味の複雑化を考えたい。



複雑化とは、自分が面白いと思うことがいろいろな経験を重ねることでディープになっていくということである。例えば、アニメ趣味の人が、アニメから、徐々に出演する声優に興味が移り、そしてその声優の握手会やラジオに興味が移るような場合である。つまり、上位概念と下位概念と言い換えられる。最初はアニメ興味だったのものが、自分の本当の興味を自覚していくことで、アニメを構成する各部分に興味が移り、さらにどんどん下の概念に興味が移っていくと言うことである。映画趣味や漫画趣味でも、どんどんその下位概念に専門化していくことは同様に起きるはずである。



複雑化によって友情が疎外されるのは次の2つの場合である、
1,趣味や興味が上位概念では共通していたが、徐々に下位概念に移るにつれて、自分の好みとあわなくなること。
2,下位概念すぎて知らない。手を出していない=共通経験をしずらくなるということで、話題の疎外ひいては友情の疎外になる。


おそらくこの興味の深淵化は年齢を重ねるにつれ起きると思う。年を取るにつれ個人の確立(専門化)が進み、逆に他の人との話題の調和を難しくさせるのである。話が飛躍しているように思うが、友情は話題(興味)ベースで成立する一方で、愛はもうすこし違う次元をベースに成立するために、こういった影響を受けずらいのかもしれないと書いていて気づいた。



個人的に複雑化を感じた具体例。涼宮ハルヒの消失の映画を見た後に映画感想会なるものを帰りの道すがらしていたのだが、その時の様子を話したい。
A「映画版の長門は、まさに文学少女の最高水準だわ!!あれこそ萌の完成系だわ!」
B「途中で、完全に銀さん(同一声優の違う出演アニメのキャラ)だったな。笑」
C「雪が降るシーンで流れていたBGMは、完全に千と千尋の音楽のフレーズと一緒だったろ笑」
言うまでもないろうが、この例は上位概念のアニメをみて、キャラ論へ行く男もいれば、声優論に行く人もおるし、音楽論に興味を持つということの説明である。