とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

(物語論)感動、驚嘆について、星新一のショートショートをみていて思ったことから。

◆はじめに

最近は物語論について、あぁでもこうでもないと悶々しています。で、デカルト方法序説にあるように、物事を考える時には単純化して考えてるとわかりやすいので、シンプルな星新一ショートショート集を題材に物語論についてあれこれ考えています。物語作りの方法論の視点でメモを取っていたものの・・・、なんだか、どうも、一番気になったのは、いくら読んでも感動しなかったこと。ショートショートだからかなのか?出来事の羅列だから?底が浅いから?オチが弱いから?物語のカタルシス、感動、物語の1つの核である、感動について書いていこうと思います。



◆結論からいえば、物語のおそらく一番大事な点は、登場人物への感情移入である。

星新一ショートショートを読んでいても感動しない。研究目線で冷静にみていたせいもあるが、数十の短編を読んでいて、1つたりとて心に残ったり、誰かに伝えたくなるような感動作はなかった。そこまでの数があるなら、どれか1つぐらいは、物凄く自分にあった、自分の欲していた話がみつかってもよさそうなものなのに・・・。



一歩引いて、最近気に入った作品や、心に残った作品と、星新一作品を比べてみて、気づいた結論は、上述の通りで、感動や、驚嘆、感嘆といった作用をもたらすのは、登場人物への感情移入にあるということだった。



星新一ショートショートは、(短編集やミステリ、サスペンスにも共通するが、) それは”展開の紆余曲折をメイン”に描いたものである。因果関係、目的、理由、方法、成功、失敗・・・。例えば、透明人間になる薬を手に入れた人間が、その薬を利用しようとしたものの、思わぬ失敗をするだとか。わけもわからない足跡の正体はとか。作品にでてくる人間はAさんでこと足り、別の人間を当てはめても齟齬はないような造りである。つまり、事物の成否や、事物の行く末を中心に描かれている。言い換えるなら、その薬を使って、期待が絶望まで落ち込む彼の心理だとか、足跡をつけざるをえなかった心理だとか、いうならば、そういう人物の感情は皆無なのである。



この発見は、かなり重要であると思う。
・主人公が、全国大会へ向けて、スポーツの道にまい進していく。
・魔王を倒すために、さまざまな苦難を乗り越えていく。
物語において、”出来事・事件”とそれを乗り越えていく主人公の苦労と紆余曲折というのは、基本的な要素であるし、主要な点である。しかし、物語の紆余曲折、オチ、どんでんがえしといったそういう出来事の紆余曲折よりも、心を動かす、読者を感動させる力は、感情移入の方が強く、むしろそちらが肝心だということなのである。



◆全く証明や論証になっていないが・・・・。

感情移入が第一であるので、出来事でどんな苦労をして、それで乗り越えたのか?ではなく、大事なのは、どんな苦労ゆえに、主人公はどんな感情を抱えたのか、その感情を、どんな方法や手段で発散したのか。それを読者にも共感させる表現とは何か?となる。



ただ、こう考えて問題になるのは、別記事(アニメの面白さは自分本位なもの〜)で書いたが、個々人の価値観や主義主張、そこから導かれる共感ポイントが、非常に千差万別であるということだ。個人主義集団主義、合理主義、人情主義?数えられないほど、数多くある。こういう状況なら私ならこう思う、こう感じて考えて行動する。それと同じ行動をキャラクターがとったとき、そうして読者とキャラが”共感・シンクロ”したとき、、出来事がもたらす結果、キャラクターへもたらす感情作用、それらを読者も追体験し、心を揺さぶる感情作用になる。



人を惹きつける物語を作ろうと思うのならば、出来事のスケールや謎や伏線、勿論、それを重視して成立する作品もあるが・・・、基本的に大事にすべきなのは、登場人物にどんな感情を、どんな風に抱かせるか。そして、そういう状況を体験すれば、読者も同じような感情をもってくれるだろうか??と自問自答し、共感してもらえる感情ベースに物語を作るほうが、感動した作品として、評価されるだろう。