とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

教育思想について 人を導くとは何を軸に、行うべきか

自分の組織・集団内の活性化理論を延長させると、人の人心を惑わす術にまで大きく関わってくる。相手への情報操作。相手の自己認識を変えて行動操作など。こういった危うい部分を、吟味せずに使った場合思わぬしっぺがえしを喰らう可能性がある。今回は、その点を踏まえ、教育や人を導くには、どこまでなら許されると思うのかについて、思想的な思索を試みる。


■ 今回の教育思想の構造

考えるステップとしては、
1,人を操作することの危険性の考察。何が、何故まずいのか。
2,危険性を考えた上での、判断基準の作成
3,その判断基準の、適用、限界範囲の作成



■1 人を操作する危険性。

善意で相手を操作した場合を前提にする。
1,自分自信への失敗の罪悪感
2,相手から自分への失敗の罪悪感

どちらも失敗の罪悪感を更に分解すると
・期待された効果を達成できなかったという責任感と、
・自分の選択が間違いだったという劣等感。 



■2 危険性を踏まえた上で、どういう基準を設けるか

責任感と、劣等感。こういった責め苦を恐れているから、危険だ。まずいと予測する。ただ、上記をそのまま判断基準に適用できる。

・現在進行中の事態に責任を負えるのか 基準。
・相手の失敗時の自分への評価・行動の予測 基準。




■3 判断基準の適用範囲

・責任を負えるのか。リスクヘッジを自分が行えるだけの力があるのかが範囲
・相手が、今回の役割行動で自分に対して幻滅する可能性があるか、ないかが範囲