とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

月見月理解の探偵殺人 4巻5巻 騙しあいの完成度が高い。

月見月理解の探偵殺人は5巻で完結する。4巻と5巻は繋がっていて、今まで何かと作中で取り上げられてきた探偵殺人ゲーム(れーくんと理解が出会うことになったゲーム)に参加する内容である。


月見月理解の探偵殺人 5 (GA文庫)

月見月理解の探偵殺人 5 (GA文庫)

月見月理解の探偵殺人 4 (GA文庫)

月見月理解の探偵殺人 4 (GA文庫)



騙しあいゲームの最果てにある真実と信頼。だけどソレが一番の武器になる。


今までに、ルールにのっとりながら騙し合うゲームをする作品は見てきたが、その中で、この月見月理解の探偵殺人4巻5巻が一番面白かった。ただ、読書歴が少なくライトな作品にしか触れてない人の発言なのであしからず 笑 ざっと鑑賞した作品を思い出すと次の通り、ライアーゲーム』『バトルロワイヤル』『ダウト』『ジャッジ』『賭博黙示録カイジ』『インシテミル』『嘘喰い』『デスノート』等



一言で言えば、複雑なルールに対し、主人公達ができるかぎり真剣にそのゲームに参加し、その真剣さからうまれてくるゲームの展開が面白かった。以下に他の作品と比べて面白い理由をもうすこし細かく列挙する。



■ゲームへの強い意思と目的

騙しあいゲームに勝つという目的意識があること。

通常他の作品だと、意味が分からず参加させられたプレイヤーや、最初に相手を出し抜いて嘘をつき非難されるプレイヤーがいる。読者は(自分も含め)そろそろ騙しあいゲームを見慣れてきているので、ゲームに困惑しながらも徐々に適応する人(前者)を読者と重ね合わせようとする演出は不要だと思う。言い換えるなら、ゲーム参加者の温度差があると良くない。読者は困惑ではなく、熟達したプレイヤー同士の真剣な駆け引きに交ざって一緒に楽しもうという気でいるのに、それをぶちこわす素人がいると面白いと感じられない時があるのだ。騙し合いゲームには慣れてきた読者もいるので、卑怯とかそういう的外れな発言をキャラの1人にあえてさせる必要はもうないと思う。そういうのが一切ない月見月の真剣勝負は非常に面白かった。




ゲームに参加して真実を知りたいという強い目的を各自が持っている。

上の話にも関わるが、ルールを必死に読みこみ、自分の良心が許すぎりぎりのラインまで踏み込んで真剣に勝ちを狙いに行くには、相応の強い勝ちたい理由が必要である。カイジインシテミル等だと、勝ちたい理由が”獲得賞金”になっているため、命>金にどこかで逆転し、ゲーム放棄や良心ぎりぎりまで踏み込んだ作戦を打てない状況に陥る。
一方、探偵殺人だとゲームの獲得商品を”参加者各自の知りたい真実”とすることで、知らなければ死ぬに死ねないという強い参加理由を作り出し、そのキャラの背景描写を深堀りすることにも成功していると思う。




■主人公のキャラクター性

どうしようもない人の良さながら、嘘を平気でつけるというキャラクター。

普通主人公というと熱血・誠実・行動力を持っていて、『お前が信じる俺を信じろ!!』とのたまい戦略もへったくれもないキャラが多い。しかも、その意味不明な人柄スキルで信用とか信頼を勝ち取り、その信頼関係をもとに協力してお互いが最小の損失になるように終わらせようとする場合がほとんどである。彼らはその誠実さで嘘をつかないがゆえに、ゲームのルールを如何に使い倒すかを無視し、『俺を信じてくれ』方法に頼り切り、結局はゲームプレイを放棄してるのと同義の行動をとる。
一方、れーくんはどうしようもない人の良さで皆を守りたいと思う心の優しい青年ながら、皆を守るためなら、嘘をつかなければいけない時は計算高くそれをし、皆ではない”敵”にはかなり良心ぎりぎりのラインまで踏み込める。つまり、ゲームに最大限の真剣さと最大限の努力をもって臨む。



実は、本作だと主人公(れーくん)はとある理由で、一緒にプレイする仲間(協力者)が知りたい真実を知っている。しかし、知らせないほうがいい真実であるがゆえに、真実を知ろうとすることを制しつつ、ゲームから安全にフェードアウトしてもらわなければいけないという高いハードルにも挑んでいる。単純なゲームの勝利だけでなくそれすらも、どうしようもない人の良さで抱え込みながら、その点では仲間すら騙しゲームに参加するのだ。





■ゲームの進行(真実とは)

探偵殺人ゲームには真実がない。


これは、両極端のどちらかであって欲しいと思う。ミステリーにしたいのなら、ゲームが進行するとともに証拠が集まり、論理的な矛盾なく犯人を見つけ出せるという構造。騙しあいならば、ゲームが進行しても参加者がそれだけで不利になるような物的証拠や状況証拠がなく、真実なんてものは一切ないという構造。
騙しあいのゲームのはずなのに、参加者が死んだ時に一緒に居なかっただれだれが怪しいとかはゲームのルールを無視している。逆にミステリーであるのに、因果関係の薄い論理で犯人を絞り込むのはばかばかしい。




■まとめ

面白い理由を考察する必要はなかったのかもしれない。一般論に落とし込んであーだこーだーいわず下の文章だけ書けばよかったのかもしれない。まぁ気にしないでおこう。


汝は人狼なりや?』というゲームを基に、作者が探偵殺人ゲームを考案しそれを作品にした。もとから完成度の高いゲームだったとは思う。しかし、参加目的を作り各キャラの背景とストーリーを作り上げたことや、探偵殺人ゲームのルール内で一番面白くなるゲーム進行を作者が考え抜いて書いてくれたこと。そして、そのゲームに関わる真実、信用、嘘というテーマを作品全体とも関連させ、作品全体でその答えを見せてくれたことで4巻・5巻は本当に面白かった。騙し合い作品ではこれが1番だと思う。
騙しあいの作品が最後に訴えるのは、お金に媚びず嘘をつかない主人公によるゲームで勝つために人を信頼する大切さだ。そんなリアリティもなくその場しのぎの人間の言葉を誰が信じると言うのだ。
探偵殺人ゲームのれーくんは違う。お金ではなくもっと広範な自分の望みを秤にかけながらも、他人(仲間)を守るためにはできる範囲で嘘をつきゲームの勝利を目指す。其処から訴えられてくるのは、ゲームを勝利する手段としての信頼ではない。れーくんが持つ絶対的な仲間を守りたいと言う意思の強さに惹かれ、その意思を信頼するのだ。人を信頼したほうが有利とか金よりもとか、そういう比較や因果関係なしに、こういう人が居るなら自分も誰かを信じてみたいと思えた。