とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

ミスリードの意義や価値、ミステリに本当に必要なのか

百合(全般)+ミステリ(主に日常の謎)を融合した作品を追い求めるあまり、『ゆりっとみすてり』という推理ノベル?アドベンチャー?ゲームを制作。ただ、ある感想にミスリードがあったほうが良いとの反応があったので、ミスリードについて考察。


■ミスリードとは

『読者が想像する展開や結末を、誤った方向へ導くこと。導く所作。』


様々な作品を見てきた読者ならば、今後の展開や結末を予想するようになり、予想通りならば、少しの優越感を得る一方で、拍子抜けした作品を低く評価する。こうした読者のために考えられた手法がミスリードであると思う。


一方で、ただ無理矢理読者の意表をつく展開を描いても、突拍子もない展開として、酷評を受ける。その使うタイミング、使う部分、使い方等には慎重な配慮が必要である。(以下後述)なお、伏線は読者に展開や結末を示唆することなので、ミスリードは伏線に含まれる伏線の特殊な用途を指す。



■ミスリードの価値

結局、ミスリードの目的は、読者を騙すことや驚かせることに他ならない。しかし、欺きや、驚きは本当に必要なのだろうか。必要だ。なぜなら、結末に予想がつくという理由で、読者の大半の集中力や緊張感は失われるからである。当然、流し読み作品に、満足感はない。特にミステリーにおいては、犯人はとか、どうやってとか、事件の真相らしきものの片鱗でも見えようものなら、その推理で解答をみてしまう人もいる。


つまり、ミステリにおけるミスリードは、
・簡単に当たりをつけられないように、疑わしい人物・行動を増加させること。
・読者の推理を作中で否定し、再び集中して作品を読ませるための装置。


例えば、怪しい動きや理由のある人物が数名いる場合や、孤島モノなんかの殺人事件にて、1人目の殺人後、犯行可能だった唯一の怪しい人物を軟禁する。しかし、その人物が夜のうちに殺されてしまう………とか。犯人だと思っていた読者は、驚きと共に、もう一度新しく犯人を探すべく真剣に読み始めるだろう。



■ミステリにおけるミスリードの使い処

前提として抑えるべきなのは、前回の記事における、ミステリは、謎・ストーリー、キャラで構成されるという話における、ストーリーの部分の話であるということ。
つまり、謎の大枠が出来た上で、それをどう読者に見せるのが面白いか考える中での味付けにすぎないこと。


また、”真剣に”読ませるために、犯人をわかりにくくしたり、作中で読者がしそうな推理をひっぱりつつ否定するわけだが、別に、真剣な人は真剣に読んでくれる。こてこてとわかりにくくしなくても、そもそも魅力的な謎であるならば、真剣に頭をひねってくれる。狙いや目的を忘れてはいけない。


原則をわかっていれば、大丈夫かと思うので細かな使い処は省略。謎をストーリーに仕立
てる(見せ方や解法を演出する)時に、以下の2つの方法でミスリードを作る。


4択クイズで誤答を用意するかのごとく、それっぽい間違った解答に、読者はひっかかりやすいか考えて、どうそれっぽく読者の注意を引いて見せるか。(誤答を作る前提で作りこむ。)

読者がまず思いつきそうな推理や方法をあげて、それをどこまでどうひっぱってから否定するのかを練る。早々に否定してもいいし、謎解き直前までひっぱってからでもいい。



■最後に 個人的ミスリードへの感想

誤答を用意するに関しては、多分使わないと思う。というか、はっきりとした容疑者がいる(犯人を当てればいい)という事件は、犯人という存在を規定する故に、思考をせばめ、推理をせばめるだけだし。極力それを主眼にはしたくない。
また後者の推理を否定するに関しては、十分やっている。というか、事件や話の性質的に十分やらざるをえない。
結局、どこを改良するべきか整理する目的で書いた記事ながら、制作方針ゆえに、あまり明確な改善点はでてこず。うむむ。


追伸。ここまで書いてみて、ミスリードが欲しい→結末がワンパターンだと、そういう意味合いの方が強い指摘だったのだと気づく。それは、百合豚の伊達や酔狂じゃない悲しい性です。業です。笑