とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

(感想)スポーツ遺伝子は勝者を決めるのか?を読んで スポーツは・・というか人生は無常。

スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

◆はじめに

一般的な人なら少年期や青年期において、スポーツでの挫折を経験し、そのスポーツから卒業したことがあると思う。どんな点や状況によってかは人それぞれだろうが、到底勝てないアイツの存在と比べたときの、身長や体格の肉体的素質、向き不向き、技術・センスといった才能的素質、そういった根本的な何かの違いに涙をのんだことがあると思う。私も、当然そういう経験をしている。それなので、本書でいうところの、スポーツの能力は、遺伝子(先天的)なものか、それとも環境や練習(後天的)なものか、また、それらはどれぐらいどんな風に関わっているのかという問題提起に、興味をそそられ、本書を読んだ。本書の内容にふれつつ感想もあわせて書いていきたいと思う。



◆本書の結論を言えば・・・。

本書にかかれていた結論から言えば、それは遺伝(先天性)と環境(後天性)の両輪による複雑極まるもので、その要因や因果関係を断定する事は今の科学では不可能であり、その複雑性ゆえに、しばらくは解明できないだろうというものである。


ただし、これは科学的な厳密性でいう不可能であり、少なからずあるいは一部分は因果関係やプラスの効果をもたらすと断言できる遺伝子(先天性)や、練習・環境(後天性)なものは発見されている。スポーツ科学おそるべしというか、生理学?遺伝学の研究によって、1部であれ判明した内容が色々とすさまじい。



◆遺伝子(先天性)おそるべし

背が高い人はバレーやバスケットに向いている。これは小学校低学年でも理解し突きつけられる最初の厳しい事実だろう。ただ、これまで私は全く気づいていなかったが、例えば、マラソンに向いている形質(遺伝子?)、高飛びに向いている形質(遺伝子?)、短距離走に向いている形質(遺伝子?)、の手がかりをスポーツ科学は十分つかみつつあることを本書で紹介されている。



骨が筋肉を支えており、骨の重さと筋肉の重さは1対5の関係にあり、その割合以上にはどうトレーニングしても筋肉はつかない。そのため、遺伝的に骨格がしっかりしている人程、筋肉=運動力をもたらすエンジンをつめる。
ジャンプ力に関わるアキレス腱の強靭さ。生まれもった強靭さで練習をほとんどしていなくても、高飛びの世界大会で優勝した人物の話、
瞬発力系の速筋と持久力系の遅筋の筋肉の割合は、遺伝子で決まっていて、黒人系は速筋の割合が非常に高く、日本人などは遅筋の方が多い。
走る速さにおいて、足の長さの平方根のなんたらは、タイムのなんたらに等しいとか。(遺伝子によってきまる足や腕の長さもスポーツごとに大きく影響する。)
長距離走に有利な最大酸素摂取濃度?(Vo2max)、個々人のベースが違うし、トレーニングの反応強度も異なり、全く増加しない人もいる。なので、全く運動しないのに一流アスリートレベルの人も極稀にいる。



その他にも、様々なスポーツ分野ごとの話がいろいろとでてくる。ただ、読んでいて感じた感想を端的にかくと、筋肉や骨の形やつき方、腕足の短さ長さ、そういった肉体の先天的な内なる部分でも明確に差は最初からある。ある分野のトップアスリートを比較すると、皆の肉体はそういう意味で人種やらは違えどかなり似通っていて、その望ましい肉体的形質を十分満たしている人ばかりらしい。



◆環境(後天性)も少々

後天性が強く関わる場合もある。メジャーのプロ野球選手があれだけの剛速球をバンバンうつことができるのは、一般的な人よりも反射速度(球をみて判断して、動く)が著しく速いわけではない。これまでの経験や技術で、投手の動きから、球筋やコース、球種を判断する予測能力によるものであるらしい。球から手を離した瞬間ぐらいには、もう経験から導かれた自動処理で、狙ったところへバットが飛ぶ。(それぐらいで動作にそもそも入らないと理論上、あの速度には対応できないらしい。)


ただし、予測に必要な視覚情報を集める為に、高速でシビアな移動を要求されるスポーツほど、”視力”という遺伝的なものも大きく関わってくる。




◆最後に

全然挙げ切れていないが、遺伝や環境、それぞれ別の具体例と研究で説明されている興味深い内容は他にも山ほどあった。ただ、読み終えて、結局は遺伝子だと思い知らされた無常感が漂った。今では、病気をけがを発症するリスクを高め関連するいくつかの遺伝子型、動機付けやる気(ある行為でドーパミンがでるかどうか)なんてものまで、開拓は徐々に徐々に進んでいるらしい。


ドーピングをし、エンジンである筋肉を増やすことで、運動パフォーマンスを向上させ、好記録をたたき出す。これは違反やズルだと誰もが思うだろう。ただ、遺伝子的変異やその地域の遺伝子的特質でドーピングと同じ効果を生まれながらに体内に宿していたとしたら、どうだろう。それはドーピングではなく、神から与えられた才能かもしれないが、それは人為的か偶発的かの違いでしかないともいえる。


そのルールに向いている人だから勝ちやすい。じゃあ、そのルールに向いている人をもっと発掘しよう。これではルールの為のスポーツや競技というか、こう、ゲームで強キャラだから使うというような、突き詰めれば、禁止されていない(ルール上OK)なら、なんでもやるであって、グレーゾーンのだしぬきあいに発展しかねないし、それはルールやスポーツとして不完全というか、スポーツや競技ってなんのためにあるんだろうと頭を悩ませられる。


オーバーテクノロジーを有した国が遺伝子操作でもして、それがばれなければ、簡単に記録なんて塗り替えられてしまうのではないだろうかと。それって無常だなと。



最後の最後に、心に残った1節をいくつか。注意 拡大勝手解釈もかなり含まれます。
・同じ練習をしても、効果は人それぞれ違う。まして、足が遅い子は、足が速い大人にはまずならない。そして、基礎運動能力が高い人ほど、練習でえる効果は大きい傾向にある。
・脳の活性化。脳は楽をしたがり、使わないところは衰える。脳を高度に使う分野には、十数歳ぐらいまでには打ち込み始めてそこの神経の結合を活性化させておく。
・様々な数の遺伝子が関わっており、身長を伸ばすのに関わる遺伝子でさえ全貌は解明できていない。