とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

服に着られるということ。最近そんな人が増えた気がする。メンズ目線の話。

◆はじめに

最近街中を歩いていて、イケメン・オシャレな人が増えたように思う。一瞬目を奪われるというか、すれ違いざまに、なにかオーラを感じるようなそんな人。しかし、中にはというかそれらの多くは、服に着られていると感じてしまう場合も多い。この服に着られているという現象について1見解を書く。





◆服に着られているとは何か

私が考える『服に着られている』という現象は、流行やステレオタイプの服の組み合わせによって生み出される、その服を着ている人自身への印象の喪失を指す。あるいは、その人である必要性のない、流行やステレオタイプによって、創造補完され完成されすぎた服の組み合わせ状態のことを指すと思う。もっと単純にいえば、没個性である。



なので、オシャレだけれど、服の方が悪目立ちして、服に着られているなぁという人も居れば、オシャレですらないし、服だけが悪目立ちして、変に目立つ服に着られている人も居る。あるいは、オッサンくさい服、オバサンくさい服といったステレオタイプを、もう年だしと諦めて受け入れて、服に着られている状態になることもあるだろう。






◆服に着られていることは悪いことか。

全員が全員オシャレである必要はないし、外見ですべてが決まるわけでもない。また服に着られている状態かどうかを判断認識する感覚は主観的な部分もあり、良い悪いと断定できる分野ですらない。また、ダサい服を着られるよりは、服に着られている感はあれど没個性のオシャレの方がまだマシという比較評価もありうるし、服に着られること自体は悪いことではない。




結局のところ、服に着られたくないという人は、服に着られないようにしようと頑張るが、気にしない人は気にしないし。頑張らない人は頑張らない。趣味の分野の話と同一で、興味のない関係ない人には、その技量や知識の違いも何もよくわからないし、へぇ頑張ってねと形だけ声援を送る程度の話と同類である。




ただ、外見に関わる事なので、第一印象や全体印象の底上げに貢献直結する領域であり、また学力や健康のように、低いよりは高いほうが良いと誰もが思う領域の為、数多くの個人の趣味の話よりかは、みんな少しは頑張ろうと思うのである。それでも気にしない人もいるが・・・。






◆服に着られている人が増えた理由

1、IT技術の進化等で、コーディネート等いわゆる服選びのお手本の情報流通量が増えたこと
2、大手量販店にて(ユニクロ・H&M等)、デザイン性が高く、流行風な服が安く手軽に入手できるようになったこと。



流行ステレオタイプの、格好いい!組み合わせお手本が増えて、それをそのまま地元のお店で安く真似できるようになった結果、お手本をそのまま真似た没個性が増加したのだと思う。








◆服に着られないためにはどうすればよいのか。

・没個性にならない
・決まりきった服の組み合わせをしない
・お手本をそのまま真似ない。



シンプルに言えば、自分の考えと服へのこだわりを持つ事であり、服装に自分が滲み出ることが、服に着られないためにすることである。




それは、没個性にならないよう個性的な(奇抜な)服を選べということでは当然ない。それはどんなことでも良い。何かあったときには走れるほうが良い、万が一のとき長い距離でも歩ける靴を履きたい。という理性的・合理的・ちょっと心配性な人なら、当然、ズボン(パンツ)もとにかくスキニーなものにはならないだろうし、防寒等にも優れた素材を無意識に選ぶだろう。



あるいは、色。自分の好きな緑を着たいとなれば、緑に合う他の色、自分が綺麗だと思った自分の感性の緑、そしてまたそれにベストマッチだと合う感性の色を買う。これなら、流行だから買ったこの色とこの色を、まぁ組み合わせたというより、個性的でその人の色の好みがでたものになるだろう。



サイズもある。これまでの運動経験から肩幅や上半身はがっちりしてるとなれば、更に上半身の横幅を強調するようなボリュームあるダウンジャケットは避けようと思うだろうし。チェスターコートなど、上からすとんと下に下ろすタイプの服では寸胴に見えやすいから、腰で一回絞れるトレンチコートのほうがいいかな等。





◆終わりに オシャレはナルシズムだな。

こう書いてくるとナルシストなんだろうなぁと思えてきた。オシャレな人は、自分のことを知っているといえば聞こえはいいが、自分が好きで自分のことに詳しくて、そして、そこにちょっとの美意識やセンスが混ざって、自分の外見を一番よく見せる方法を人より探しているわけだ。



自尊感情や自意識、自己肯定感が高いことも悪い事ではない。高すぎなければ。さて、しかしこうなってくると、金持ちはより金持ちを目指すと同じ結論になってしまう。人から奪ったり人をあごで使ったり、1円をどう増やすかを常に考えられるような心の性質気質がなければ金持ちになれないように。オシャレも、ナルシズム、美意識、センスといった心の性質気質の結果だろう。なれる人はなれるだろうし、なれない人にはなれない類のものだ。



まぁ、真のとか生涯のオシャレになるには、そういう心のあり方から持ち合わせないとムリなわけだが、一時のオシャレ、他人に変に思われない、服に着られないレベルのオシャレを目指すぐらいならば、以下の言葉を思い出せば十分だろう。



・お手本どおりをそのまま絶対真似しない。無理してわざとでもどこか変える。
・他人とは絶対被らないように、流行してるものを買うなら、無理してわざとでもどこか変える。色、素材、デザイン。
・どんな思い入れでもいいから、服のポイント(選んだ・その服が好きな理由)を自分で語れるようにする。=服へのこだわりをもつ。