とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

ドキュメンタリーは嘘をつく?のか。

フジテレビの深夜ドラマ 『放送禁止』をみていていろいろと考えた。この作品は、ドキュメンタリーのような調子で進むフィクションのドラマという珍しい設定だ。多分この文章ではわかりずらいとおもうので、youtubeなどで実物を見た方が早い。
以前学校の講義で、ドキュメンタリーは嘘をつくのかという話がなされた。そのときの結論から、放送禁止をみていて1つ発展したので、ここに書く。

放送禁止 DVD封印BOX2

放送禁止 DVD封印BOX2

■学校の講義。『森達也ドキュメンタリーは嘘をつく

森達也の『ドキュメンタリーは嘘をつく』というテレビ東京の実験的な番組をみせられた。(同じくyoutube参照を)その番組から、ドキュメンタリーは真実か?嘘か?という問を考えさせられた。結局結論としては、物事を見る時や編集や映像という形にする段階ですでに視点というものが導入されているため、1つの真実など存在しないという結論で講義はまとまった。


当時の自分は、それは映像や物事を見るとき全般の話であり、ドキュメンタリーは嘘をつくという限定的な話と直接は結びつかないという結論を出した。というのは、存在しない人物の役を演じさせるという手法が映像の中にあったからである。具体的に言えば、ある1人の放送大学の学生に著名人をインタビューさせる映像だったのだが、その学生は役者であり、インタビュー相手の中にも役者がいたのである。




■放送禁止を見て  〜ドキュメンタリーというものの定義〜

上の見解の相違で争点となるのは、ドキュメンタリーは事実を映すものかという点である。事実とは、現実として目の前にあることである。嘘ややらせを組み込んだ映像を事実として映像に組み込んで、その映像をドキュメンタリーと分類するのは自分は違うと思っていた。



ただ、放送禁止を見ていて思ったのはドキュメンタリーの定義は、そういうものはなくて、映像手法の形式によって形成されるものだと思った。つまり、次に挙げる手法を用いているとドキュメンタリーのようにみえると感じたのである。【ドキュメンタリーと思えるような映像を見ても、それには嘘が混じっていますよ】という結論にすることで落ち着いた。

●条件
メタフィクションの度合。

 ・登場人物と、制作関係者のインタビューが入る
 ・ナレーションが入る。(状況を俯瞰して説明する存在がいる)
 ・制作関係者の声や、映像が入る。

その作品を作っている側の人の声や映像が進入してくると、ドキュメンタリー(のような)映像だと感じやすくなるのではないだろうか。