とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

『ミッキーマウスの憂鬱』を読んで 著者:松岡圭祐

高校時代に図書館の新刊コーナーに置かれていた本だ。ただ、いろいろあって途中までしか読めていなかった。本屋で最近見かけたので、購入し読み直してみた。

ミッキーマウスの憂鬱 (新潮文庫)

ミッキーマウスの憂鬱 (新潮文庫)

■総評

当時は、ディズニーランドでの経験をモチーフにした体験モノかと思って読んでいた。著者の名前や経歴を見る限りそういったことではないと今になってわかった。笑 ただだからどうのということはない。


この本の中でも記憶に残るのは、やはり熱伝導についてだろう。主人公の熱意が周囲のしがらみや確執や猜疑心を埋めていく。ヒーローやリーダーはこういう性質を持ち合わせてないといけないなと思わされる。「会社のためじゃない、ディズニーランドのためだ。」1つの明確でもっともな基準をずばりと皆の心に浸透させていく。格好いいシーンだった。




とはいえ、この熱伝導にはいくつか付随して考えさせられたことがあった。

1,熱伝導されない人は排除されたということ

・会社のために動かされていた悪役
・ただそれなりに働いていた人
・主人公のような夢や、熱意がある人
この3段階ある中で、最初の段階の人はそんなの詭弁だ!会社だ利益だ!とのたもうたあとで、それを隠れ聞いていた上司にお灸を据えられた。2段階の人は、主人公のように頑張ってみようと思わされる。思い返してみれば他のアニメや漫画でもこういう展開な気がする。変わる人は変わる。しかし、最初から悪人?意地悪?な人は追放されるということだ。これを踏まえて何が言いたいのかというと、現実世界で考えると、人の心を動かすには、自分の熱意がまだまだ足りないということも考えられるが、そういう端から駄目な人もいるということなのだろうか。と考えさせられた。



2,熱伝導のためには、かなりのコミュ力と論理力を有するということ

台詞とその言い方で、周囲の人の心に何かを残す。それは、聞いてる人にわかりやすく・説得力があって、更に人間的にも或る程度尊敬までしてもらってはじめて出来るのだ。言葉を繊細に選ぶ力だとかどういう道筋で話そうとか、どういう言い方をしようとか難しすぎる。とてもじゃないが、主人公のようにいきなりすらすら自分の熱意を言葉になんてできない。
何が言いたいのかと言えば、現実に応用させるにはまだまだ途方もないぐらい自分のコミュ力や論理力的なところで足りないところが多すぎる。