とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

『クビキリサイクル』 西尾維新をよんで

すこし雑談をしよう。以前の誰かのブログでの話だ。西尾維新をよんだ友人の2人が自殺したという内容の記事があった。本作のどの点がどういう作用でどういう人が死んだのかなど明確にその記事で説明されてはいなかった。しかし、その中でひたすら繰り返されていた”西尾維新虚無主義”というキーワードは今も頭に残っている。自分ももう若くない。虚無主義がどういうもので、どう危険なのかの想像はつく。だからあまりこの本を読んでみる気はしなかったのだが、気になったことにはいつか手をつけてしまう性格なのだ。そういうことを経て、自分は今日読んだ。

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)

クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い (講談社ノベルス)



この本を読んでの結論は……ない。
【全てが曖昧で、全てが虚無で、全てが真実であり嘘でもある。】
作者が人を言葉でいたずらに惑わせる天才だということには大いに納得するが、しかし作者が何を伝えたかったのか。どんな意味や思想がこめられていたのか伺い知れない。エンタメ作品であるため、思想などないということもあるが、それでも何らかの思想の残滓があらわれてもおかしくはないように思う。



ただ、一言で言うなら【結局この世はわからないのさ。】という思想だろうか。
主人公は判断をしない曖昧主義と語られている。そのように判断を避けることで行動しないし責任も伴わない態度を常にとる。作品の語り部が、であるかもしれないし、そうでないかもしれないという態度を繰り返しとるのだ。登場人物の人物評価でも、殺人事件のトリックの推理においても同様にそうなのだ。結局どっちなのか私たちにわかるわけがない。ましてや、答えに2面性をもつような問を主人公に考えさせ解答させることで、よりその曖昧さが増幅される。もとからどちらともいえない問なのだから。他にもそういった根拠がないのに犯人扱いはよくないと散々言っておきながら、最後のエピローグでは根拠もない名推理が展開される。
まぁ、最初に述べたとおり、結局わからないだろ??それらしい正解なんてないんだよ??という印象を作り出すことに終始している。そういう印象が強い。さて、じゃあそのわからないだろ??の先を作者はどう語りたかったのだろう。それでもガンバレなのか。自分なりのやり方を見つけろなのか・・はたまた・・