とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

お金がなくても平気なフランス人    (天国を探している。)

資本主義だとか、文化とか、社会とか、気候だとか。世界いたるところで様々な習慣やルールがあって、それによって色々な人の暮らし方がある。自分にとって日本という国が合わなくたって、東京という街が合わなくたって、もっといえば通っている会社とか高校とかがあわなくたって、自分だけの天国を探せればいいと思う。注意しなければいけないのは、今の暮らしに本当に絶対足りないものは何なのかと、行った先には本当にその幸せがあるのかだけ。

逃げるのだって立派な戦略だ。今進んでいる道から飛び出すってことなんだから。立ち止まるよりずっといい。


というわけで天国を探して、他の国や他の人の暮らし方を気になって読んでみた。

お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人 (講談社文庫)

お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人 (講談社文庫)



■フランス人の考え方の軸=合理と愛

フランス人はわがままでケチで、情熱的というステレオタイプはよく聞くけれど、本を読むと実際その通りのフランス人が度々出てくる。どうやらそのステレオタイプはあながち間違いではないらしい。笑 ただ本を読んでいて思ったのは、それは自分勝手ということではなくて”合理的”という言葉がふさわしいように感じられた。フランス人は目的や本質に対して忠実で、目的と関係ないことはやらないし、目的達成において必要以上に損することを避ける。そして目的達成のため強く自己主張をするということだ。


例えば、私はマンションに住んでいるが、1階に住んでいる私はマンションのエレベーターを使わない。だからエレベーターの管理・維持費を私は払わなくていいはずであるなどがあげられている。日本人ならそこでいさかいを避けるべく、あるいは管理費の明細さえ聞かずにお金を払うことだろう。


また合理的とは別に、愛という観点を彼らは重視して生活している。男女が同棲をはじめやすい環境や風土もそれを手助けしている。愛をなぜ重視しているのかまではかかれていなかったけれど。



■フランス人の合理の日常生活における具体例 (抜粋)

食について

人の手がかかるとぐんと高くなるから自分で作る。例えば、お茶会等のときにお店のものではなくて自分の家で作ったお菓子を持っていくらしい。その中の合理を分析するなら、ちゃんと美味しければ包装してない手作りでもOK=見栄えは関係ないし、お茶会は会話がメインなのだからそんな部分にお金や手間はかけない。付け加えるなら、買うより作ったほうが楽と思うぐらいに料理の腕が達者であるようだ。


衣服について

気に入ったものしか買わない。気に入るまで試す。気に入ったら長く着る。例えば、運動しやすい服を持ってきてと学校からの案内があったときに、父親のトランクスを体操着として持ってきた子がいたらしい。運動に使って問題ない服ならなんでもOKとまさに理にかなっている。


冠婚葬祭について

結婚には、リストオブマリアージュ(結婚のリスト)という制度があるらしい。これは結婚する二人が新婚生活で使うものをまとめたリストを作り配る。それを見て参加者は祝い金ではなく各自の懐にあったリストの中の品物を買って送るという制度である。結婚生活に必要な者を貰い、あげられるし、品物はあげる側の経済状況や関係性で選べると実に合理的。



■天国ではなかったけれど・・・

合理は好きだ。上のような世界なら自分が苦手とする”上下関係”というものもおそらくないだろう。(年齢の上下が何かの優劣ではなく、能力で優劣が決まるのが合理的だから。)しかし、理を突き詰めてもそれで幸せにはならないと思う。それは理とは本質に近づき本質に従うが、時として理だけでは上手くまわらなくなる分野があると思うからである。例えば市場の失敗のように。そういった理にこだわる人が自然のままではよくない形に出くわしたのならどうするのだろう。



今まで培ってきた理が通用しない分野の場合、感情や義理という部分が反面かけているため、ゆずりあいや損のしあいができないと思う。つまり、それなりにうまく行くが、例外的な状況や理が通用しないとき、まさに明確なルールがないゆえに大変なその時に、お互いに自己主張しあい・・・下手するとののしりあうことになるだろう。



拙記事
かなり古いけれど、南国に天国を求めたこともあった。
【南の島で暮らそう】
http://d.hatena.ne.jp/kito_yurianusu/20100521/1274451635