とにかく考えた、事・方法論を書くことにした。

最近は雑記ばかり。サーフィンと読んだ本に関して考えた事などを書いていきます。

叙述トリックキライを改めて、見直す。

私は叙述トリックが嫌いです。その理由を列挙し自己分析していこうと思います。



1、肝心の箇所を読んでないから驚きが少ない。
テンポが悪いと流し読みや飛ばし読みをよくします。なので、真相解明後に、あのシーンで伏線が仕掛けがといわれても、飛ばしていて気づかなかったりするわけで。気づかなかったら、驚きもないわけです
主語がぼかされていたけど、口調やそういう台詞をその人がいうはずない等の叙述トリックがありますが、おかしい!?とか変だなと気づく読者はむしろいるんでしょうか……。



2、正々堂々感がない。だまし討ち。
問題提起を隠したり誤魔化すのが、正々堂々感がなくてキライです。どうやってこの密室を作ったのか。この中の誰なら殺せたのかと問題提起が明確だからこそ、挑戦しがいがあり、真剣に集中して望んだからこそ、結果に一喜一憂するんだと思います。
ちよっと違うかもしれませんが、線を一本たして、次の図形を○○にしなさい。正解は、『曲線を使う』みたいな問題を、面白いと思えるか??という感覚に近いと思います。周りの人がわからない中で、自分だけ気づけた優越感はうまれるかもしれませんが、いい問題だと唸る事はないでしょう。
こういう時、もっと頭にくると、だれがこんな性悪な問題考えたんだとまで思います。





こう書いてくると、ミステリへの読者の姿勢が叙述トリックの好き嫌いに影響するように思えてきました。それは、謎に対して、『騙される事に喜びを感じるのか。』『解く事に喜びを感じるのか』です。2分割できるものでないですがどっちよりか。また騙される事への許容度も関係してきて個々人千差万別かと思います。

作者は読者を騙したい。あの手この手で騙したい。そのうちに叙述トリックを使う事もあるかと思います。ただ、私は、謎を解きたい。謎に正面から挑んで頭を抱えて、もう一度気になる箇所を何度も読み返してみる。そういう時間が好きです。

どこかで書かれていたうろ覚えの言葉ですが、謎は解かれるためにある。どんどんヒントを出したり解けるように作者は誘導していくべきで、本当に出来の良い謎なら、タネが分かっていても評価される。そう思いました。

もしよかったら、カッパーフィールドの、身体が分割してるのに歩き始めるマジックを見てください、ネットで調べてトリックがわかってからも、何度も見たくなると思います。多分、最初に感じた驚きは色褪せないからでしょう。